内容説明
本能寺の変に斃れた信長の後継者をめぐり清須に集う織田家の宿老・羽柴秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興。信長の孫・三法師を前に葛藤する信雄、信孝。火花散る争いのゆくえは!?大義・思惑・主導権、清須会議の実像に迫る。
目次
第1部 信長の死と権力争い(本能寺の変で情勢が一変(信長・信忠父子が討たれる;光秀はなぜ信長を討ったのか ほか)
主導権を争った清須会議(信長の孫・三法師のもとへ参集;ぶつかりあうそれぞれの思惑 ほか))
第2部 天下人への道を歩みはじめる秀吉(問題が多発する新たな体制(滝川一益の帰還で問題が発生;信雄と信孝の関係が悪化する ほか)
秀吉の天下占有と「織田体制」の解体(賎ケ岳の戦いで秀吉が勝家を討つ;秀吉が天下統一へと動きだす ほか))
著者等紹介
柴裕之[シバヒロユキ]
1973年、東京都生まれ。東洋大学大学院文学研究科日本史学専攻博士後期課程満期退学。博士(文学)。現在、東洋大学文学部非常勤講師、千葉県文書館県史・古文書課嘱託。戦国・織豊期の政治権力と社会についての研究を専門とする(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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アン・シャーリーこと寺
71
三谷幸喜が小説&映画にしたあの「清須会議」の実際(映画はつまらなかったなあ・余談)。コンパクトで図版も多く、面白かった。このシリーズは良い本が揃っていると思う。本能寺の変に始まり、織田家のその後まで。織田家の跡目争いの中、秀吉が信長の孫・三法師を担ぎ出したように言われるが、三法師が跡継ぎであるのは規定路線である為、争われたのは跡目ではなく三法師の名代だという指摘はなるほどである。基本的に明智光秀を討った秀吉有利で物事は進む。信孝や信雄が領地の境界線で争う等しているうちに、あれよあれよと秀吉が天下を奪う。2018/11/29
Taka
16
どうする家康で本能寺が終わった為予習。巨星亡き後の行く末を決める清須会議。秀吉がこの会議で三法師を担ぎ出して実権を握ったと考えていたけど、この時はまだまだ混乱中だったのだな。結局すぐに清須会議体制は崩れて、柴田が敗れ信孝が自刃し、小牧長久手の戦いが起こり家康が勝ったけど。。と激動の時代。体制が長く保たなかったところは鎌倉殿の13人を思い出すね。日本一の出世男の名前は伊達じゃない政治力と運と。信雄はダメ扱いされて良いところがないイメージだけど家康よりも三法師の秀信よりも誰よりも長生きしているしているところよ2023/07/24
MUNEKAZ
8
清須会議というよりは、それによって生まれた織田家の体制とその崩壊をコンパクトに描いた一冊。興味深いのは三法師擁立は重臣間の既定路線で、決して秀吉の切り札ではなかったということ。むしろ三法師の「名代」を巡る信雄・信孝の兄弟争いが、秀吉を利することに繋がった。幼少の若君、重臣間の争い、使えない一門と秀吉死後の情勢と被るところも多くて、何とも皮肉な気持ちになってしまった。2019/03/06
うしうし
5
①三法師は秀吉に擁立された(江戸時代初期の『川角太閤記』で創出)のではなく、「本能寺の変後、幼少ながらも、すでに天下人の織田家家督を継ぐべき「若君様」」(p33~34)であった。②三法師は本能寺の変後に岐阜城にいたが、美濃国内で明智勢力が蜂起したため、清須城に避難していた。そのため明智勢力を打ち破った織田勢が、家督継承者たる三法師がいる清須城に集結した(p34)。③信雄、信孝は美濃・尾張国境を巡って対立し、両者の関係が悪化した(p61~64)。など、著者の新説や近年の最新研究が、平易な文章で綴られた良書。2019/06/18
こまさん
5
最新の研究をコンパクトに。読みやすくてよかった。三法師が規定路線だったというのはなるほどなと思ったし、やはり後世につくられたイメージを刷新していくのは簡単なことではないな、と。2018/11/28