内容説明
実在したのか、しないのか。新出の「真下家所蔵文書」「沼津山本家文書」を駆使し、武田信玄や徳川家康の家臣として戦国から江戸時代を生き抜いた菅助一族の軌跡を明らかにする。関連史料を全文翻刻掲載。
目次
第1部 論考編(山本菅助に関わる新出史料の調査と概要;山本勘助・菅助研究の軌跡;山本氏の系譜;武田家臣山本菅助とその子息;徳川家康に使えた山本氏;山本菅助一族とその時代―乱世から太平の世へ;再考「菅助」と「勘助」)
第2部 資料編(山本菅助略系図;山本菅助関係年表;山本菅助関係史料集;新史料紹介・真下家所蔵文書―武田家ヵ朱印状・山本家系譜;山本家系譜 翻刻)
著者等紹介
海老沼真治[エビヌマシンジ]
1978年生。立正大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。現在、山梨県立博物館学芸員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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BIN
4
甲陽軍鑑でしかその活躍が記載なく、甲陽軍鑑も史料としての信頼性がないため実在性が疑われた山本勘助に対して、2008年に「山本菅助」が記された「真下家文書」や菅助の子孫にあたる家にあった「沼津山本家文書」のことがその発見等含め論考集としてまとめられてます。発見・調査中の興奮が伝わってきました。初代菅助は川中島で、2代菅助は長篠の戦いで戦死だったとは。文書の方も収録されています。読み応えがありました。2023/04/06
オルレアンの聖たぬき
2
山本勘助は、甲陽軍鑑をして『信玄股肱の天才軍師』の高名を馳せた存在だが、その高名ゆえにそれが長らく『非実在』『架空の人』とされてきたが、その実像が二つの文書群によって一気に『武田氏の有力な家臣』としてその姿を現した。しかもその子孫たちも激動の時代をくぐり抜けていたということがわかり、正直読んでいる本がぶるぶると震えた。よくも悪しくも『甲陽軍鑑』の存在が『山本菅助』を印象付けてしまった。そんな気がする。2021/10/22
相馬
1
超収穫。実在を示す古文書が見つかり、実在が裏付けられたが、それ以外のことは全く分かっていなかった『山本勘助(菅助)』について、最近、更に7通の古文書(信玄直筆を含む)及び由緒書が発見され、そのことをまとめた報告書。新城のお寺に伝わる勘助の先祖之覚書についての、新行紀一先生の業績についても触れられており、嬉しい。まとめると、 ・初代山本菅助は武田家の足軽大将クラスの身分であったが、川中島で討死。その後は養子が継ぎ、江戸時代には永井家、次いで高崎の松平家にて明治まで仕え、現在も沼津に存続している。だって!!2014/03/15
Stella
0
「市河文書」のことは知っていたけど「真下家所蔵文書」は詳しく知らなかったし「沼津山本家文書」に至っては存在を知らなかったので驚いた。 山本勘助研究史やその後の山本家がどうなったか(会津山本家や長岡山本家は入りません)など、読み応えがあった。2013/10/11
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