KanKan Comics<br> おり鶴さん―漫画で描きつづけた被爆者の戦後

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おり鶴さん―漫画で描きつづけた被爆者の戦後

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  • サイズ A5判/ページ数 224p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784863855359
  • NDC分類 369.37
  • Cコード C0079

内容説明

『おり鶴さん』は日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の「被団協」新聞11号(1979年11月発行)に初掲載。2021年5月まで4コマ漫画は494回、漫画入りルポなどが6本、計500作品が掲載された。本書にはこのうち335作品を収録

目次

1979年~1989年 おり鶴さんスタート―世界的な核兵器廃絶運動の中で
1990年~1999年 被爆者援護法制定に向けて、運動高まる
2000年~2009年 核兵器廃絶へ―世界に広がるまなざし
2010年~ 核なき世界、そして平和な未来へ
西山進の被爆体験―あの日のこと

著者等紹介

西山進[ニシヤマススム]
日本漫画協会名誉会員。1928年生まれ。現在の福岡県北九州市や大分県宇佐市で育つ。美術教師だった祖父の影響で、子どものころから絵を描くのが大好きだった。漫画家に憧れたが、「『戦争漬け』の時代に育ち、そうした夢は許されませんでした」と振り返る。1945年8月9日、少年工として働いていた長崎市の三菱長崎造船所(爆心地から約3.5キロ)で被爆。さらに、救援隊として爆心地付近を歩いて縦断した。残留放射能の影響など思いもよらず、後に一時期、急な脱力感や倦怠感に襲われる「原爆ぶらぶら病」に苦しめられる。戦後、福岡県の炭鉱労働者や労組書記を経て、1953年に東京へ。漫画で一本立ちしたのは40歳を過ぎてから。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の運動にへ1970年代から関わる。連載漫画「おり鶴さん」をはじめ、被爆者援護法制定要求や原爆症認定訴訟支援のパンフレットやビラを描く。1993年に福岡市へ転居。『はだしのゲン』で知られる中沢啓治さんが2012年に亡くなった後、「最後の被爆漫画家」と呼ばれている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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