内容説明
現象学は反形而上学という決意のもとで出発した。しかし1960年代に、レヴィナスが「絶対他者への欲望」として形而上学を標榜し、80年代からはアンリやマリオンなどフランス現象学界で「魂に内在する神の啓示」、「存在なき神」などいわゆる神学的転回の議論が活発化した。90年代になると神学のみならず広い意味で現れざるもの、現象しないものへの関心が高まっていった。またフッサール研究でも志向分析の限界に関する議論が盛んに行われ、誕生と死、無意識の問題に光が投ぜられた。このような非現象性への関心からオイゲン・フィンク再考の機運が高まり、94年にはフィンク・コロキウムが催され、全集(全30巻)の刊行も始まった。彼の「非存在論」はフッサールおよびハイデガーとの批判的対決を通じて独自の展開を見た。フィンクはハイデガーの存在論とフッサールの志向的意識分析を媒介し両者を乗り越えようとし、意識の存在を包括する開けの次元として世界を位置づけ、さらに世界を「存在の地平」として思惟することにより、志向分析や存在論よりも根源的な問題地平を開いた。本書は初の本格的フィンク研究として、現象学や現代思想に関心のある読者に興味深い一書となろう。
目次
序 形而上学と世界問題
第1部 現象学的形而上学としての非存在論(絶対者の現象学としての非存在論;非存在論と時間分析)
第2部 コスモロギーと現象学的世界論の展開(コスモロギー的世界論の成立;光と闇の現象学)
結びにかえて
著者等紹介
武内大[タケウチダイ]
1968年東京生まれ。1991年中央大学文学部哲学科哲学専攻卒業。1996年東洋大学大学院文学研究科哲学専攻博士後期課程単位取得退学。東洋大学文学部哲学科助手を経て、同大学文学部哲学科非常勤講師。文学博士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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