内容説明
古代から近世に至る広範なテクストを駆使しつつ、メルロ=ポンティ、フーコー、デリダ、レヴィナス、ヴァレラなど、現代思想と対話することにより新たな哲学的地平を提示した必読の文献である。
目次
1 パトス的な背景における意義作用と欲望
2 遠くから触れること
3 触発からアピール(訴え)へ
4 経験のズレ
5 自らの外へ、私たちの間で
6 秩序の内部と外部で
7 精神分析上の経験の炸裂
8 経験への技術の介入
著者等紹介
山口一郎[ヤマグチイチロウ]
1947年生まれ、東洋大学教授
三村尚彦[ミムラナオヒコ]
1964年生まれ、関西大学教授
稲垣諭[イナガキサトシ]
1974年生まれ、東洋大学助教
村田憲郎[ムラタノリオ]
1971年生まれ、東海大学准教授
吉川孝[ヨシカワタカシ]
1974年生まれ、高知女子大学講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Bevel
7
現象学を中心とした20世紀フランス思想史をよく知る著者が、レヴィナスを批判するもの。メルロ=ポンティが身体として示した間主観的な知覚の場をフッサールの「超越論的経験」と見なし、それを作用志向性の手前の過去としての「遭遇」の次元、「強度ゼロ」の差異化のプロセスの場とする。このときこの場をまったき他者の場ではなく、キアスムの肉と見なすことで、応答可能性を強調し、フロイトないし神経科学との協調点を探すという感じ。古典に過剰に言及する文体に共感はないが、2002年当時の文脈でやりたかったことはまあわかるという感じ2024/07/19
Go Extreme
1
パトス、認知の陰に隠る パトスは介入をすり抜ける 遭遇、襲いかかるパトス 遭遇、選択なき襲来 遭遇、秩序無用の余剰 異他的なもの、可能性を超える 自己と他者の分裂 自己は欠如から、自己分割で 要請への不可避な服従 応答、遭遇への事後的意味付け 創造的な応答、開かれた連結 あらゆる秩序の暴力性 境界踏み越えと悪しき弁証法 中立化、自然から人工へ 生命の技術化、技術の生命化 神経ネットワークへの転換 自然と人為の中性化 生命倫理、苦痛体験の無視? 裂け目、触発と応答の分割2025/05/01