出版社内容情報
蘇我馬子が飛鳥寺を建立したのではなく
厩戸皇子が四天王寺を建立したのではない
まえがき
第?章 藤原不比等の平城京
1 藤原不比等によって構想された平城京
2 平城京に施された「軸線」
【コラム1】建造物が直線的に並んでいることを測量計算で確かめる
3 聖武天皇陵の位置が語る真実
4 藤原不比等の墓─石のカラト古墳
5 藤原鎌足の墓─赤坂天王山古墳
6 藤原定慧の墓─花山西塚古墳
7 「見えない軸線」と仏教寺院の役目
8 平城京の出発点となる裏鬼門・上宮遺跡の謎
【コラム2】仏教寺院の軒丸瓦の文様
9 不比等の館と法華寺の維摩居士像
10 平城京と『日本書紀』を構想した藤原不比等の「謎かけ」
第?章 『日本書紀』の虚構は建造物から崩れる
1 『日本書紀』によって隠された飛鳥京
2 飛鳥寺の創建者は蘇我馬子ではない
【コラム3】仏教寺院の伽藍配置
3 舒明天皇の紋章を示す軒丸瓦の文様
4 隠された難波京と四天王寺の創建者
5 飛鳥京と難波京を隠さねばならなかった理由
第?章 「乙巳の変」の真実
1 蘇我入鹿の殺害は不比等による「カムフラージュ」
2 軒丸瓦のパルメット文様が示す天皇継承の真実
3 藤ノ木古墳(南側被葬者)と薬師寺の『吉祥天画像』
4 藤ノ木古墳の馬具の把手と斑鳩宮パルメット文様の軒丸瓦
5 滅ぼされた天皇一族が眠る耳成山南北軸の古墳群
6 高松塚と藤ノ木古墳の被葬者が語る真実
7 「乙巳の変」の真実から『古事記』の編纂者が判明する
第?章 虚構の蘇我・聖徳 …
1 蘇我・聖徳の名前は『日本書紀』の暗号である
2 厩戸皇子と「イエス・キリスト」
3 聖徳太子とされた肖像画の謎
4 『日本書紀』が記す蘇我一族と聖徳一族の歴史
第?章 蘇我一族の実在性の否定
1 蘇我一族は天智の出自を美化する道具であった
2 蘇我一族の出自
3 蘇我の系図と建造物が語る真実
4 『古事記』『日本書紀』『続日本紀』が示す蘇我一族の虚構性
第?章 天武は天智の同母弟ではない
1 蘇我・聖徳によって偽装された天智天皇の出自
2 廣瀬と竜田の神祀りが示す天武の出自
3 天智天皇と斉明天皇の墓は大官大寺と本薬師寺の位置が示す
第?章 天武と持統の墓
1 天武と持統の合葬墓は不比等によってつくられた
2 天武天皇の皇后
3 持統の十字架が示す法隆寺西院伽藍の創建者
4 文武の十字架と天智一族の意思
5 天武天皇の岩屋山古墳
6 天武の皇子たちの墓
7 大津皇子殺害は持統によるクーデター
8 朱鳥・天皇位空白の四年間と藤原一族
あとがき
年表
全軸線図
野田正治[ノダマサハル]
著・文・その他
内容説明
蘇我馬子が飛鳥寺を建立したのではなく、厩戸皇子が四天王寺を建立したのではない。「陰陽の二元論」によって『日本書紀』と『古事記』がつくられ、馬子と厩戸(馬小屋)もつくられた。
目次
第1章 藤原不比等の平城京
第2章 『日本書紀』の虚構は建造物から崩れる
第3章 「乙巳の変」の真実
第4章 虚構の蘇我・聖徳
第5章 蘇我一族の実在性の否定
第6章 天武は天智の同母弟ではない
第7章 天武と持統の墓
著者等紹介
野田正治[ノダマサハル]
1947年静岡県富士市に生まれる。静岡県立富士高校を経て、1970年東京理科大学工学部建築学科卒業。東レ株式会社、雨宮建築設計事務所、丹下健三・都市・建築設計研究所などを経て、1996年ナウ環境計画研究所を設立し現在に至る。1996年より東京理科大学工学部建築学科非常勤講師、工学院大学建築学科非常勤講師、芝浦工業大学建築工学科非常勤講師を各数年間務める。2004年目白大学社会学部社会情報学科特任教授となり現在に至る。一級建築士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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