- ホーム
- > 和書
- > 教養
- > ノンフィクション
- > ノンフィクションその他
内容説明
凍てつくシベリアの収容所で父き道義に生き、そして死んだ。父山本幡男の思い出と、父の遺言を胸に刻みながらも思うにまかせぬ自らの人生を綴った、ほろ苦くも味わい深い回想記。
目次
シベリア
大連
怖い父
大野幸子先生
引き揚げまで
隠岐の島のヴァイオリン
父の消息
渡辺一夫先生
一九六八年
内観
山本モジミの生涯
弟の屁
ヒロシマ、そしてフクシマ
山本幡男はどう生きたか
北溟子の俳句
父の言葉を抱きしめて
付録 山本幡男の遺書全文
著者等紹介
山本顕一[ヤマモトケンイチ]
1935年福岡県生れ。父である幡男の満鉄調査部勤務に伴い1936年満州国に移住。1946年満州より島根県隠岐の島に引き揚げる。1959年東京大学文学部フランス文学科卒業。1964年東京大学大学院人文科学研究科仏語仏文学専攻博士課程満期退学。同年立教大学一般教育部専任講師に就任。1976年立教大学一般教育部教授。1983~86年立教大学総長室調査役。2001年立教大学定年退職、立教大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
モルク
97
「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」の山本幡男さんのご長男顕一氏の書。顕一氏が父幡男さんと生活したのは1944年小学3年生の時までだったそうである。家庭内では怒鳴り散らし、酒乱ぎみな父。母や祖母に迷惑をかけ、子供たちは萎縮する。「ラーゲリ…」の書から受ける印象は温厚、まわりを気遣うあたたかい人であるが、息子から見るとこんなにも違うのか。その父の死後57年目で顕一氏はようやく父の墓参にハバロフスクを訪れる。そして墓前で慟哭する姿にこちらも涙を誘われる。半分は優秀な顕一氏の半生が描かれている。2023/06/22
Nobuko Hashimoto
28
映画化もされた『収容所から来た遺書』(辺見じゅん著)の山本幡男さん長男による、ご本人と家族の人生の記録。長男顕一さんの記憶の中の父・幡男さんは酒乱気味で恐ろしい印象が強かったようだ。秀才でエリートコースを歩みながら、父にまつわるトラウマと呪縛、恩師に認められたいという切望と恩師の死による喪失感から身を持ち崩した顕一さんは40代にして自身を見つめ直す修行によって立ち直る。末弟もまた兄の存在に囚われていた人生だったよう。(つづく)2023/07/03
uniemo
16
「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」の山本さんのご長男が父親の思い出や自分の人生を描いた作品。父親への思いも興味深いですが、優秀な学者だったと思われる本人の若いころの半生記の部分も面白かった。2023/04/27
雪だるま
12
「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」の山本幡男氏の長男である顕一氏の著作。息子から見た父親としての幡男氏は決して良い父親でも良い夫でも無かったことに驚いた。遺された顕一氏含め家族たちの大変な生活が書かれていた。2023/07/23
fubuki
6
【図書館本】映画主人公のご長男の書。この本自体は、父への回顧録だけではなく、むしろご自身の半生の書。子供目線での父と、戦場での幡男氏があまりにも違っていたことに、ご本人も驚かされたよう。戦後に俘虜となり、筆舌に尽くしがたい労働と刑罰を受ける。これは日本政府の怠慢なのでは、と思わずにいられない。何故、俘虜引き渡しのことで、ソ連との交渉が進まなかったのか、無知な私には分からないが、多くの人たちが「寒い国」の凍土に今なお埋められているという事実は忘れてはいけない事だと痛感する。映像以外でも心が痛くなった。2023/04/05