内容説明
京都の街と100年あまり歩んできた「顔」。あのヒゲの看板が教えてくれた、モダン都市・京都の忘れられた物語!
目次
はじめに 「青」との遭遇
「仁丹」町名表示板の基礎知識
第1章 京都を歩けば「仁丹」にあたる 探訪・初級編
第2章 設置時期を追う 木製「仁丹」編
第3章 設置時期を追う 琺瑯「仁丹」編
第4章 「津々浦々」の謎
第5章 「仁丹」はうそつかない
第6章 京都を歩けば「仁丹」にあたる 探訪・中級~上級編
第7章 愛される「仁丹」
森下仁丹社長インタビュー 実際に京都を歩いて驚いた。今も街に残る「広告益世」
著者等紹介
樺山聡[カバヤマサトル]
1974年、大分県生まれ。99年、大阪大学卒業後、京都新聞社に入社。社会部や運動部などを経て2020年春から京都新聞のデジタルメディア『THE KYOTO』のライターを務め、文化部編集委員を兼務。京都の埋もれた物語を発掘している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
けんとまん1007
57
本のタイトルを眼にした時は「???」。読み始めた途端、これはいい、楽しいぞ!と思った。まさにその通りで、京都を中心となってしまうが、歴史を知ることにもなって教務が尽きない。琺瑯でできているというのは、その見た目というか肌触りというか、懐かしさを覚える。こんな変遷があって、今の残っているのは、とても嬉しい。いつ京都へ行けるかどうかわからないが、京都の街並みを見る眼が変わりそうだ。2025/05/12
へくとぱすかる
46
街歩きで必ず目にする仁丹の町名板。その起源・歴史の通説を補正して、京都での現況をレポート。創業者の玄孫にあたる社長インタビューも貴重。うれしくてスマホで撮影したとは、こちらもうれしくなる。大正~昭和のホーロー製看板が良く目につくが、明治末の木製板の重要さを再認識。1世紀を生き延びて、すっかり洛中のシンボルになった看板を、ぜひとも近代の文化財として大切にしたいものだ。後世の3けた郵便番号時代のプラスチック町名板は、すでにかなり消滅したが、倍ほど古い仁丹のほうが、褪色せずに鮮明に残っているのには感動する。2023/11/29
shikashika555
43
あの「仁丹」の看板についての本。 京都仁丹樂會という研究団体があることも初めて知った。 楽しそう。 京都には街中に琺瑯の町名表記看板がある。 不思議なことに大阪では見ることがなく京都だけ。 数はとても少ないが独特のレトロな魅力で記憶に残るものだ。 その看板がどうして、いつ、どのような経緯で掲げられたのか。 明らかになっていくほどに京都市史とのつながりや広告規制等の問題も知ることが出来て非常に楽しい読書時間となりました。 2024/08/18
つちのこ
43
京都仁丹樂會のブログをチェックしているので、内容的には新鮮さはないが、著者を始め仁丹町名看板に関わる人々の熱い思いがひしひしと伝わってきた。直近の調査では木製と琺瑯製合わせて523枚の現存となっているが、1995年には1200枚が確認されている。家屋の取り壊しやリフォーム等で年々減少していくのは残念だが、これは京都市が誇る文化遺産でもある。民間、行政を含めて保存活動が更に推進されることを望みたい。ちなみに琺瑯看板マニアの小生は、2005年から撮影を始め、現在までに741枚をカメラに収めて打ち止めとした。2023/11/24
Roko
37
仁丹の町名看板は家の壁に直接打ち付けてあるものなので、震災や火事などで失われたものが多数あると考えられます。そして、最近では家が老朽化し、解体するときに一緒に廃棄されてしまうものもあるのだそうです。それを惜しいと思うご近所の方が譲り受け、そのお宅に掲示するということもあり、時として看板の住所と現実の住所が一致しないこともあるのだそうです。でも、そんなことよりも看板が保存されることの方に重きを置いている京都の町っていいなと思います。#京都を歩けば仁丹にあたる #NetGalleyJP2023/11/24