内容説明
京都の街と100年あまり歩んできた「顔」。あのヒゲの看板が教えてくれた、モダン都市・京都の忘れられた物語!
目次
はじめに 「青」との遭遇
「仁丹」町名表示板の基礎知識
第1章 京都を歩けば「仁丹」にあたる 探訪・初級編
第2章 設置時期を追う 木製「仁丹」編
第3章 設置時期を追う 琺瑯「仁丹」編
第4章 「津々浦々」の謎
第5章 「仁丹」はうそつかない
第6章 京都を歩けば「仁丹」にあたる 探訪・中級~上級編
第7章 愛される「仁丹」
森下仁丹社長インタビュー 実際に京都を歩いて驚いた。今も街に残る「広告益世」
著者等紹介
樺山聡[カバヤマサトル]
1974年、大分県生まれ。99年、大阪大学卒業後、京都新聞社に入社。社会部や運動部などを経て2020年春から京都新聞のデジタルメディア『THE KYOTO』のライターを務め、文化部編集委員を兼務。京都の埋もれた物語を発掘している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
へくとぱすかる
43
街歩きで必ず目にする仁丹の町名板。その起源・歴史の通説を補正して、京都での現況をレポート。創業者の玄孫にあたる社長インタビューも貴重。うれしくてスマホで撮影したとは、こちらもうれしくなる。大正~昭和のホーロー製看板が良く目につくが、明治末の木製板の重要さを再認識。1世紀を生き延びて、すっかり洛中のシンボルになった看板を、ぜひとも近代の文化財として大切にしたいものだ。後世の3けた郵便番号時代のプラスチック町名板は、すでにかなり消滅したが、倍ほど古い仁丹のほうが、褪色せずに鮮明に残っているのには感動する。2023/11/29
つちのこ
41
京都仁丹樂會のブログをチェックしているので、内容的には新鮮さはないが、著者を始め仁丹町名看板に関わる人々の熱い思いがひしひしと伝わってきた。直近の調査では木製と琺瑯製合わせて523枚の現存となっているが、1995年には1200枚が確認されている。家屋の取り壊しやリフォーム等で年々減少していくのは残念だが、これは京都市が誇る文化遺産でもある。民間、行政を含めて保存活動が更に推進されることを望みたい。ちなみに琺瑯看板マニアの小生は、2005年から撮影を始め、現在までに741枚をカメラに収めて打ち止めとした。2023/11/24
Roko
34
仁丹の町名看板は家の壁に直接打ち付けてあるものなので、震災や火事などで失われたものが多数あると考えられます。そして、最近では家が老朽化し、解体するときに一緒に廃棄されてしまうものもあるのだそうです。それを惜しいと思うご近所の方が譲り受け、そのお宅に掲示するということもあり、時として看板の住所と現実の住所が一致しないこともあるのだそうです。でも、そんなことよりも看板が保存されることの方に重きを置いている京都の町っていいなと思います。#京都を歩けば仁丹にあたる #NetGalleyJP2023/11/24
りらこ
25
一企業が、地域に住所を記しそれをその場所に掲示する細やかな発想にまず驚く。 それが明治時代に端を発していることに再び驚く。 この本は、仁丹の看板が多く残っている京都を中心に、どういう経緯か、歴史かを丹念に紐解くものだ。読みながら「仁丹の会社の経理書類などは残っていないのか」と気になったが、戦争で焼失してしまったらしい。だから現存している琺瑯の看板(時に明治時代の木製のものも!)現物をもって、さまざまなことを推論するしかない、フィールドワークの醍醐味あふれる考察。 2023/12/18
田中峰和
5
京都に数多く残る住所表示の琺瑯版。仁丹の商標が住所の下に描かれている。初期のころは上部に描かれていた。仁丹の文字の上にひげの紳士が描かれている。さらに古くは木製だったという。その木製のものに琺瑯版を被せている例もあるらしい。この仁丹の琺瑯版は昭和初期に設置されたものが多く、その後の戦争と密接に絡んでくる。焼夷弾による延焼を防ぐため、道路の拡幅が実施され住所表示が変わった影響も受けている。金銀銅や鉄などは戦時中、金属回収令によって回収されたが琺瑯は対象外とされたせいで、生き残ったという。今後も残ってほしい。2024/04/09