鄙への想い―日本の原風景、そのなりたちと行く末

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鄙への想い―日本の原風景、そのなりたちと行く末

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  • サイズ B6判/ページ数 245p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784860294144
  • NDC分類 914.6
  • Cコード C0095

出版社内容情報

6大学初の女性総長として、法政大学総長に就任する田中優子氏。江戸から現代に続く「鄙(ひな)-いなかー」と「都市」の関係を語る

内容説明

「鄙」とは、「都市部」から離れた「いなか」のこと。「鄙」と「都」の構図から見えてくるものとは?江戸の価値観を通して、現代社会が抱える矛盾に迫る。

目次

第1章 鄙から見た都とはどんなものだったのか(人間は死者の想いとつながって生きている;あらかじめ位置づけされた犠牲の地 ほか)
第2章 グローバル化は人を幸せにするのか(生命の次元ではすべてが連環している;地域を超えた地域同士のつながり ほか)
第3章 富と権力が都に集中し鄙は見捨てられるのか(鄙は日本の矛盾が集中する場所;病や放射能汚染は差別を生み出す ほか)
第4章 循環社会のノウハウは江戸学にある(自然との出合いで始まった女性解放運動;現在の鄙は金儲けの場を目指している ほか)

著者等紹介

田中優子[タナカユウコ]
1952年、神奈川県生まれ。法政大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。文学修士。専門は江戸近世文化・アジア比較文化。2014年4月より、法政大学総長を務める。『江戸百夢』で芸術選奨文部科学大臣賞、サントリー学芸賞を受賞。2005年、紫綬褒章受章

石山貴美子[イシヤマキミコ]
1947年、秋田県生まれ。写真家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

壱萬弐仟縁

27
2011年初出。随所にモノクロ、カラー写真があり、文章で綴られる構成。鄙は、都の価値観が被い尽くした現代日本の全体を、批判的に捉える逝きし世のような位置づけをもつ(14頁)。鄙は生産の場所。江戸時代では生産者が最も価値ある人間と考えられた(22頁)。江戸時代に学ぶ必要が平成人にはありそうだ。江戸時代ではしあわせは仕合わせと書き、めぐりあわせ、幸運の意味(31頁)。ローカリゼーション:一定の地域で、人々が自ら産業を担い、人が生涯安定して生きてゆける仕組み(99頁)。2015/09/22

kiho

13
「鄙」という言葉の凛とした存在感…都に対比すれば地方、田舎という表現が先に立つけど、その土地には長年の営みと自然の恵みがある⭐そのことをもっと深く認識しなければ、自分たちの地盤が崩れてしまう…という危機感を真っ直ぐに著す1冊。社会のどこに目を向けるべきか…石山さんの写真にも大きな示唆がある。2015/08/27

茶幸才斎

8
雑誌記事として、日本各地に残る自然と調和した暮らしや文化を、都に対する「鄙」と呼び語ろうとした筆者の意図は、あの震災によって連載2回目にして大きく変貌する。替わりに筆者が浮き彫りにしたのは、したたかに立ち振舞う市場原理主義によって都に利用され、都の矛盾が一方的に集積する犠牲の地としての「鄙」であった。経済至上主義が地球環境に物理的打撃を与え、人びとの伝統的な暮らしを蹂躙する事実を知りつつ、甘んじてそのシステムに依存し続ける自分に、かすかな後ろめたさは常に感じる。でも何もしない。しないのです。ごめんなさい。2014/08/15

sai

5
山村に8年間家族6人で暮らした5年目に娘が産まれた。その町でその年に産まれた子供は10人いなかった。そこまでの過疎かと驚いたが翌年は一人も産まれなかった。娘の産まれた年はベビーラッシュだったのだ。平成の大合併でその町は合併先に嫌がられて、住民投票の末、流域下流部にあり、原田マハ氏が描いてくださった、白壁土蔵の町並みが美しい町と一緒になった。どんなに不自由な立場になっても声が上げにくい思いがあった。鄙は都にある意味搾取され続けるが、貧しいが土地は広く、水は旨く、食料はある。都にない幸せが鄙にはあると思う。2015/02/02

ひでき

2
都鄙。江戸時代は藩が国の単位で、領民は藩主を中心とした政治、経済システムの中で生きていた。城があり城下町があり、それぞれの地域に根付いた豊かな文化が育まれていた。その周辺部に鄙が存在していた。江戸の人が「田舎者」と呼んだのは江戸周辺の農民で、藩の城下町からやってきた人のことではない。明治期以降にゆがんだ中央集権が極度に進み、地方=鄙に国家の陰を押し付けてきた。水俣病、沖縄の米軍基地、福島...。筆者はこの国の現在の為政者達が米国占領下の植民地のエリートだと切って捨てた。思考停止に陥らないこと、行動すること2014/08/03

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