内容説明
人間の不可解な心の闇を描いて秀逸なサスペンスの詩人!少年時代の思い出から、監督した最晩年の作品まで縦横に語り尽した。
目次
第1章 映画界入りまで(一九三〇~一九五七年)
第2章 ある晴れた朝のこと(一九五七~一九五八年)
第3章 誤解と非難(一九五八~一九五九年)
第4章 作家主義と商業主義(一九五九~一九六六年)
第5章 悪意を秘めたミステリー(一九六六~一九七二年)
第6章 三面記事(一九七三~一九七七年)
第7章 ヴィオレットからラヴァルダンへ(一九七八~一九八五年)
第8章 占領時代への回帰(一九八六~一九九一年)
第9章 「不完全さの醍醐味」(一九九二~一九九七年)
第10章 それでも私は映画を撮る(一九九八~)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ネムル
4
フレームの外部を拒絶するラングのストイック。そこに影響を受けつつも、画面の外に何かを見ようとするシャブロル。従軍体験で暴力を目にしたラングにおける究極の暴力が完璧なまでのそっけなさ、そしてペキンパーのようなスローモーションを否定し、『肉屋』のように数滴の血のみで暴力を撮るシャブロル。ラングへの言及が実に面白い。そして、『帽子屋の幻影』『ヴィオレット・ノジエール』などの代表作が未だソフト化されていない悔しさ。2013/05/31
garth
2
ヒッチコッキアンとして知られるシャブロルだが、ラングに関する言及が多いのが意外だった。「ラングにとって宇宙万物は画面内部のものごとで縁取られているんだ。画面のなかはもちろん変わる。だがそれでも万物はすべてこの画面の内部なのだ。ラングは画面の外部を拒否している。有名だがささやかな画面の演出がある。三人の人物がいる。世界とは、つまり三人の人物ということになるのだ。そのなかのひとりが姿を消す。キャメラは画面のふたりに近づく。世界のなかにはふたりしかいないということになる。後は何も重要ではない」だがさらに、自分の2011/03/18
JunKawa
1
今年の夏、東京で開催された大シャブロル祭りでは英語字幕の作品も多かったため、内容を理解するための副読本として文字通り座右の書とした。祭り終息後に通読したが、今度は悠然と自身の映画人生を語るシャブロル御大の語り口に魅了された。最も興味深いのは、シャブロル自身が映画を制作するために、いかなる苦労や理不尽(時に自業自得)を乗り越えてきたかという部分にある。この本ではフリッツ・ラングへの言及も多いが、彼もまた、著作「映画監督に著作権はない」において映画製作を続けていくことの困難を滔々と語っていた。2011/09/11
susie
1
シャブロルの語り口が実際どういうものなのか知らないが、こういうものなんだろうと思わせるのだからいい翻訳なんだと思うし、いつまででも話を聞いていたい気にさせられる。2011/06/08
hata2
1
シャブロルの映画はあまり観ていないが、ちょっと口の悪いが気の良いお喋りな近所のオヤジの話を聞いているみたいで楽しい。2011/03/07