内容説明
韓国では、長い間、軍事独裁体制がしかれ、労働運動もすさまじい弾圧のなかで闘われた。一九七〇年十一月十三日、全泰壹(チョン・テイル)は幼い労働者たちの待遇改善を求めて、わが身に火を放ち抗議の叫びをほとばしらせた。そして母、李小仙(イ・ソソン)はその日から息子の遺志を引き継ぐため、同じ境遇にあえぐ労働者たちと共に歩み始めた。幾度となく投獄され、拷問を受けても、生涯を彼らとともに闘い、生きぬいた…。本書はルポ作家、呉道〓(オ・ドヨプ)が二年間にわたり、ともに暮らしながら掘り起こした、彼女の八十一年の生涯の記録であり記憶である。韓国の労働運動・民主化運動の精神的支柱となったオモニ・李小仙の生きる姿と思いは、私たちに希望と感動を与えてくれる。
目次
第1部 貧しかった日々、固い絆―1945年8月‐1970年10月
第2部 炎の痕から立ち上がる人々―1970年11月‐1971年9月
第3部 暴圧の闇夜―1971年4月‐1978年8月
第4部 大路に躍り出た人たち―1979年10月‐1986年5月
第5部 美しき出会い―1986年8月‐2008年11月
第6部 李小仙、幼い頃に―1929年12月‐1945年8月
著者等紹介
呉道〓[オドヨプ]
1967年、全羅南道で生まれる。詩人、フリー記者、ルポ作家。建国大学で学生運動に参加して追われる身となる。89年から昌原工業団地で溶接工として勤務。94年には国家保安法違反で拘束。大田矯導所に収監されたが40年以上非転向を貫く良心囚を知って詩に目覚める。97年「頑丈でなければならないものがある」で全泰壹文学賞を詩部門で受賞。詩集「そして6年が過ぎて出会う」刊行以後は「詩を書くのが難しくなり」、15年続けた工場生活に終止符を打って労働者、農民の声を記録する仕事に没頭する。2004年、再び全泰壹文学賞を、生活文部門で受賞
村山俊夫[ムラヤマトシオ]
1953年、東京で生まれる。1979年頃から朝鮮語を学び始め、1986~87年まで韓国留学。帰国後、通訳・ガイド業を経て、2007年より京都でハングル講座「緑豆楽院」を運営し、現在に至る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。