内容説明
演じる思想家・ニーチェのドラマトゥルギー的方法論とはなにか!?ニーチェの付けたさまざまな仮面のもとで現れる、ディオニュソス的唯物論。
目次
1 ケンタウロス的文学
2 実存の文献学、諸力のドラマトゥルギー
3 猛犬に注意(cave canem)―あるいは恐るべき真理に注意!
4 ディオニュソスがディオゲネスに出合う、あるいは身体化された精神の冒険
5 苦痛と正義
解説 スローターダイクのニーチェ論
著者等紹介
スローターダイク,ペーター[スローターダイク,ペーター][Sloterdijk,Peter]
1947‐。ドイツ・カールスルーエ生まれの哲学者。1976年に『文学と人生経験の組織化。1918‐33年ヴァイマル共和国における自伝ジャンルの理論と歴史』で学位取得。1978‐80年にインド滞在。1992年からカールスルーエ造形芸術大学教授、2001年から同学長。パリ、ニューヨーク、チューリヒでも客員講師等
森田数実[モリタカズミ]
東京学芸大学教授。専門はドイツ社会学史、フランクフルト学派の社会理論研究
中島裕昭[ナカジマヒロアキ]
東京学芸大学教授。専門は現代ドイツ演劇・文学、演劇教育、パフォーマンス研究
若林恵[ワカバヤシメグミ]
東京学芸大学准教授。専門はドイツ語圏文学・文化
藤井佳世[フジイカヨ]
鎌倉女子大学講師。専門は教育哲学・思想、学校論、コミュニケーション研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
せみ
3
『悲劇の誕生』の対立極は、アポロン的なものとディオニュソス的なものではなく、悲劇的なものと非悲劇的なものである。このとき悲劇に陶酔する者にとって、悲劇を理解せず笑い、茶々を入れるソクラテスは神経に障るものだ。しかし悲劇の悲壮さを不真面目にからかうこの道化は、その意味ではむしろデュオニュソスの化身ではないだろうか。『悲劇の誕生』のニーチェにとって不愉快なこのことによって、後年ディオニュソスは悲劇的・非悲劇的両方のものであることができた。そしてオルギーの陶酔とは区別される非悲劇的な挑発こそが、哲学と呼ばれる。2013/06/26
wanted-wombat
0
なぜか本屋の演劇関係の棚にならんでた(笑)中身はガチガチの哲学書なのに。2013/08/06
毒モナカジャンボ
0
デュオニュソス的なものとアポロン的なものの対立は前者の勝利ではなく、アポロン的なものの統御によってギリギリの調停を迎える(ニーチェはデュオニュソス的なものを”書けて”いるのだからよく考えれば当たり前の話だ)。相互侵食によって絶対的自律を失う両神。凌辱されたアポロン、それは道徳的自律的主体と真理のロゴスによる基礎づけの試みを打ち砕く。だが道化の疑いを抱いてしまったデュオニュソス的なものに希望がある。真理は耐え難く、真理への距離から距離を取れなくなったものは死ぬしかない。真理の絵姿を焼き捨てた時、初めて→2020/02/13