目次
リーチと高村光太郎の出会い
日本の頭脳上野の森に
「白樺」創刊のころ
手賀沼の自然に生きる
志賀の和解とリーチの初窯
みんな燃えていた時代
美の使徒、柳と浜田の活躍
滝井孝作と中勘助の我孫子時代
嘉納治五郎と「白樺派」
関東大震災と「白樺」廃刊のころ
ほうはいとして起る各地の民芸運動
終焉
手賀沼その後
著者等紹介
山本鉱太郎[ヤマモトコウタロウ]
旅行作家、劇作家。戦災に遭って栃木県足利に疎開し、群馬大学工学部応用化学科を卒業後、放送作家を経て旅行作家となる。1年150日ぐらい旅をつづけて全国をくまなく歩き、ふるさと運動を指導したり、民芸や温泉、郷土料理、祭礼、文学などを取材したりして多くの著書をあらわす。劇作家としても活躍し、オペラ「手賀沼讃歌」、オペラ「智恵子抄」、ミュージカル「こんぶくろ池のうなぎ姫」、芝居「山林鉄道」「青年たちの運河」「名人関根金次郎の生涯」などを全国各地で公演(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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双海(ふたみ)
16
白樺派文人たちを手賀沼から見るという切り口が斬新に思い、借りて読みました。2014/05/16
れうしあ
1
手賀沼の自然の美を求め、白樺派をはじめ多くの文人たちが我孫子へとやって来た。最初に移り住んだのが柳宗悦、続いて志賀直哉や武者小路実篤も移り住んだ。一時バーナードリーチも柳邸の窯で作陶に没頭した。武者小路は早々に新しき村での生活を開始し、柳が居住したのもわずか6年半である。だがその間この土地で醸成された文化の影響は計り知れない。志賀が最も精力的に文筆を行なったのもこの時代である。柳はこの後民芸の美を見出だし全国にその価値を広めた。手賀沼畔での生活は、彼らにとっての青春時代とも言えるだろうか。2020/08/22
つばな
0
色々な文献から知りえるエピソードを分かりやすくまとめてあるだけでなく、手賀沼の環境運動に関わり地縁があるからこそ聞き取りできたエピソードや、民芸の取材経験からの視点など、かなり読み応えあった。なにより文章が平易かつ面白い。2019/05/05
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