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内容説明
満州事変、日中戦争、太平洋戦争と相次いで起こった戦争におけるラジオの果たした役割を検証するノンフィクション。ジャーナリズムが危機に直面する時代に考える。
目次
第1章 「終戦詔書」が放送されるまで(君は「終戦詔書」を読んだか;短波で和平交渉 ほか)
第2章 戦争の犠牲者三一〇万人(「九軍神」と「捕虜第一号」;皇居に一〇トン爆弾に耐える防空壕 ほか)
第3章 政府の監視下で始まった放送(関東大震災後放送局誕生;「挙って国防、揃ってラヂオ」 ほか)
第4章 国策放送からGHQラジオコードへ(ニュース原稿の素材;本土決戦前のラジオ ほか)
著者等紹介
秋山久[アキヤマヒサシ]
1935年東京生まれ。早稲田大学第2政経学部卒。1962年からNHK放送記者として、東京、鹿児島、福岡、山口、大阪で勤務。その間、ラジオ第1の「NHKジャーナル」、BK発テレビ「土曜ワイドきんき」などでニュースデスク、ニュースキャスターを務める。退職後、東京経済大学、明星大学で非常勤講師。現在、フリージャーナリスト(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
鯖
13
映画「日本の一番ながい日」でも印象的な玉音放送直前のスタジオに乗り込んできた将校たちがアナの眉間にピストルをつきつけて「放送させろ」といったシーンはピストルを背中につきつけ、普通に「放送させてください」だったけれど、監督に盛り上げるため変えられた。開戦から45年8月17日まで天気予報は放送されなかった。ニュースは放送1時間前に事前検閲。2.26事件の4日間にわたるラジオ放送の再現など。プロパガンダの道具でもあったラジオだけど、空襲が増えるにつれラジオ本体も破壊されそれすら聞けない人も多かったんだろうなあ。2018/10/30
印度 洋一郎
3
戦前のラジオ放送開始から、戦後の連合軍司令部GHQの統制下の放送まで、日本のラジオ放送と戦時体制との関わりを丹念に追った労作。玉音放送にまつわる緊迫した数日間の記録、戦時中のラジオ放送の実態、政府の検閲下で国策になった開始時の経緯、そして敗戦直後のGHQの統制など、様々な視点で語られている。ラジオは当時絶大な影響力のあるハイテクメディアであり、その力を日本政府は恐れ、利用しようとした。特に戦時体制でのラジオ利用は、ドイツの宣伝省にその範があった。終戦で復活した天気予報を祝う「天気予報の歌」の逸話がほっこり2019/09/24
takao
2
ふむ2022/11/24
spike
1
ラジオ放送は誕生から25年の間、ずっと検閲下にあったのだという。その間のこと、特に226、「日本のいちばん長い日」で描かれた玉音放送前後のことなどを誠実に丁寧に追っていく。当時の放送人の葛藤や努力なども垣間見えるのだが、もっとそこを掘り下げられているともっと興味深かったかもしれない。当事者の大半が鬼籍に入り、記録も散逸してしまっていただろうから無理からぬことではありますが。2018/12/24
onepei
1
話が整理されていないと感じる点多し2018/10/02