出版社内容情報
日本の人々が鉄道によせてきた熱い思いを、時代ごとに紹介。第三弾は、昭和後期?現代編。日本列島が1本の線路で結ばれる!!終戦から10年くらい経つと、日本の鉄道もこれまでの蒸気機関車から次第に電気、ディーゼルによる車両に変貌を遂げていきます。車両は航空機の製造技術を応用してとても軽くなり、1両の機関車が牽引可能な車両も数が増えてきました。また、幹線の複線化や新幹線が開通し、一度に多くの人を輸送することができるようになっていきました。そして1988(昭和63)年には青函トンネルの開通によって日本列島が1本の線路で結ばれました。その後、新幹線の最高速度は時速320kmになり、超電導リニアモーターカーの実験もスタートしました。
梅原 淳[ウメハラジュン]
鉄道ジャーナリスト
目次
重たい車体から軽い車体へ1(1955年)
東海道線の全線電化が完成(1956年)
東海道新幹線がつくられる(1957年~1964年)
交流での鉄道電化に成功(1957年)
重たい車体から軽い車体へ2(1958・1962年)
石炭から電気、軽油の時代に(1958年~1975年)
新時代をひらく“特急三姉妹”(1958年~1960年)
近代的な鉄道への脱皮と苦労(1959年~1963年)
地下鉄の躍進と相互直通運転(1960年)
特急列車は庶民の乗り物へ(1961年~1968年)
東海道新幹線の開業と日本の発展(1964年~1970年)
国鉄の大投資と経営の悪化(1965年~1987年)
新たな新幹線の計画(1966年~1973年)
曲がり角を迎えた日本の鉄道(1970年代)
路面電車が消えてゆく(1970年代)
蒸気機関車が消えてゆく(1975年)
さようなら国鉄、こんにちはJR(1987年)
青函トンネルと瀬戸大橋が完成(1988年)
さらなるスピードアップをめざして(1985年~)
21世紀の鉄道(2001年~)
著者等紹介
梅原淳[ウメハラジュン]
1965年生まれ。三井銀行(現在の三井住友銀行)、月刊「鉄道ファン」編集部などを経て、2000年に鉄道ジャーナリストとして独立。講義・講演やテレビ・ラジオ・新聞等へのコメント活動も行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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