内容説明
女流日記文学の嚆矢たる『蜻蛉日記』が果たした役割と機能とは。これまで、道綱母が半生の憂いを綴ったものと解されることが多かった『蜻蛉日記』であるが、近年その上巻には「兼家の詠草を記録するという事業への道綱母の協力」という重要な役割のあったことが論じられている。本書では『蜻蛉日記』上巻のみならず全編が、夫と貴族読者の求めに応じて“兼家妻”の立場で書かれたものであると考え、また自分と道綱を兼家一族につながる存在として貴族社会に示そうとしていると読む。『蜻蛉日記』のありようとその形成について、それぞれの記事の表現に即しながら11の論をもって考察する。
目次
1 上巻における“兼家妻”としての社交の様相(時姫との「真菰草」の贈答歌考―端午の節句時の交際として;上巻の御代替わり考―兼家の妻としての行動)
2 安和の変をめぐり構成される記事(小弓の記事における「柳の糸」と「柳のまゆ」の贈答歌考―「眉」と「繭」の掛詞をめぐって;中巻の「桃の節句」と「小弓」の記事について―安和の変の直前に書かれたこと;安和の変直後の長精進と病臥―正五月と閏五月の対応;兼家の御嶽詣―安和の変後に求められた加護;愛宮への長歌と「多武峯より」との関わり―喚想される過去の悲劇;愛宮との贈答歌記事と屏風歌記事の意味―安和の変後の御代替わり期として)
3 安和の変後の新たな方向性(中巻の「内裏の賭弓」の意義―小弓の記事との関係から;下巻の正二月・閏二月の漢詩文的表現群―つくり出された春の情景)
まとめ『蜻蛉日記』における「書く」ことと“兼家妻”としての自意識
著者等紹介
斎藤菜穂子[サイトウナホコ]
東京都生まれ。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。博士(文学)。國學院大學・東洋大学等の非常勤講師を務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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