内容説明
第二次世界大戦後シベリア抑留を経験した日本人女性が明かす収容所生活の内幕とは!?冷静な女性の眼でみた、極限状況での人間の記録。
目次
逮捕と監獄―一九四五年九月~一九四六年六月
ラーゲル―一九四六年六月~一九五〇年七月
流刑地へ―一九五〇年七月~一九五〇年十二月
流刑地にて―一九五〇年十二月~一九五三年夏
流刑地からの帰国―一九五三年~一九五五年四月
著者等紹介
坂間文子[サカマフミコ]
1909(明治42)年、旧満州(現在の中国東北部)大連に生まれる。大連神明高等女学校・大連語学校英文科を卒業。1943(昭和18)年、大連にある旧ソ連領事館の日本語教師となる。1945(昭和20)年の終戦時に、領事館の日本語教師という経歴がスパイ嫌疑につながり、進駐してきた旧ソ連軍に国事犯容疑で逮捕される。約一〇年にわたる抑留生活の後、スターリン死去後の1955(昭和30)年4月、四六歳の時に帰国。その後、1975(昭和50)年に講談社より『雪原にひとり囚われて シベリア抑留一〇年の記録』を発表(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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キクチカ いいわけなんぞ、ござんせん
31
日本占領下の大連で生まれ育った女性が敗戦後スパイ容疑で懲役五年、更に流刑地で五年過ごし、日本に帰国するまで。敗戦時35歳。子供の様に小柄で体重は35キロ。よく過酷な環境で生き延びたものである。過酷ながら弱い彼女を助ける囚人仲間も多く、最後の流刑先の村では殆どの女性達と仲良くなり、ソビエトの豊かな自然を楽しみじっと帰国の日を待ち続けたヤナギの様に折れない根性。それでも油断するとまた刑務所、悪くすると銃殺はすぐそこにあり、その息苦しさはいつも感じていたという。ネットで写真を見たらキリッとした美しい人でした。2020/06/19
慧の本箱
11
それにしても過酷、過酷極まりない体験。著者坂間文子氏の10年にも及ぶ想像を超えた記録。謂れのない理不尽で一方的な逮捕そしてシベリア抑留。よくぞ生き抜いたと思われる出来事の数々。現在の平和ボケの私たちには到底想像さえ出来ない現実。今現在も世界のどこかで似たことがきっと起こっている。2020/06/16
あび
2
10年間囚われていた一般の女性の記録。過酷かつ理不尽な世界。2017/03/18