内容説明
言葉を育て、言葉に育てられた人―日記や書簡を中心に新美南吉の遺した言葉を丹念に追うことで、南吉=「ごん狐」のイメージを取り払い、いまなお新しい童話作家の尽きせぬ魅力を描き出す。
目次
序章 南吉の死のお手本は広重、緑雨
第1章 火種(大正十一年‐昭和五年)
第2章 出逢い(昭和六年‐昭和十一年)
第3章 蹲る(昭和十二年‐昭和十三年)
第4章 希望の泉(昭和十四年‐昭和十六年)
第5章 時に遇う(昭和十七年‐昭和十八年)
特別寄稿 新美南吉先生と私(大村ひろ子)
著者等紹介
斎藤卓志[サイトウタクシ]
1948年、愛知県生まれ。民俗学者。中京大学法学部卒業、佛教大学文学部(通信)卒業。元安城市職員(学芸員)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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にいたけ
24
29歳という若さで亡くなった新美南吉の日記をベースにその思いを解き明かす意図の本。日記からかなり生意気?な感じを受ける。童話作家だから綺麗な感じという訳ではなかった。清濁併せ持ってのあの作品というところか🤔亡くなってから棄てられそうになった南吉の日記を教え子が譲り受け、保管してくれたおかげで彼の言葉が残った。「まことのことばはうしなはれ雲はちぎれてそらをとぶ」宮沢賢治の言葉を献本に記した南吉の思いはいかに?興味深い話である。2021/01/26
kanata
1
新美南吉。わずか29年と数ヶ月生涯に多くの童話、詩、小説そして「文芸自由日記(P35)」を遺した、常に文学と生きた人。安城で教師をしていたことは初めて知った。厳しくも女生徒たちに慕われていた。本書では日記の引用が多いが、日記に文学を入れるまぜこぜの文章、南吉のやり方にしっくりくる。日常のなかに文学があるから、日々のことと作品が並んで書けるのだ。こういうところは昔の人らしさでもあるし、濃い文学人生を歩んだ彼の姿勢でもあろう。2017/02/25