内容説明
なつかしくて、新しい…魅力つきない木曽・御嶽の歴史と風景、探訪の旅へ。
目次
1 木曽川をさかのぼる(木曽八景「寝覚の床」と「木曽のかけはし」;旧中山道を歩く ほか)
2 御嶽街道をゆく(信仰の霊山木曽の御嶽;行人橋から御影堂までの登山道(旧御嶽登山道) ほか)
3 開田高原へ 飛騨街道を行く(石仏の道歩き;唐沢の滝から地蔵峠へ ほか)
4 木曽駒高原・山麓線を行く(八沢川をさかのぼる;木曽駒山麓林道を行く ほか)
5 黒川郷 道祖神街道を歩く(木曽で最も道祖神の多い谷;道祖神とは ほか)
著者等紹介
田中博[タナカヒロシ]
1928年、長野県木曽郡木曽福島町(現木曽町)に生まれる。旧制長野県立木曽中学校卒業後国鉄に就職。大阪鉄道教習所専門部建築課卒業。1949年より91年3月まで小学校教員を勤める。89年4月より2007年3月まで木曽町教育委員会非常勤職員として勤務、文化財担当。木曽町文化財保護審議委員会長。長野県文化財保護協会評議員。長野県立歴史館資料調査委員
山本卓蔵[ヤマモトタクゾウ]
1943年、愛知県に生まれる。写真家・臼井薫の教えを受け、各地の自然やそこで営まれる人々の暮らしの足跡を撮り続ける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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壱萬参仟縁
17
カラー写真と共に、Ⅱ章では御嶽街道をゆくが中盤にある。わたしの母方の祖母のうちの隣が、田中博先生のお宅であったのを今でも覚えている。今は上ノ段は観光客用に様変わりしたが、まだ町並み整備していないときには 表札で先生のお名前は馴染みがあったが、面識はなかった。足湯のある行人橋は、旧御嶽登山口であったという(41頁写真)。江戸時代中期にも御嶽へ登ることは75日の精進潔斎を終えた者でなければ許されなかった。神域を汚すと、天明2年(1782)、代官所でも許可されなかった。 2014/10/08