内容説明
今日用いられる「仏教」という概念。それは東洋発祥ではなく、植民地由来の文献を介した西洋による想像と願望の産物からはじまった?一九世紀ヴィクトリア朝の英国人らによる仏教表象を分析し、称賛と蔑視・偏見・畏怖を交えながら、キリスト教などとは異なる「一つの宗教としての仏教」が構築される過程を、“オリエンタリズムと宗教”をめぐる問題系を踏まえつつ解明。西洋近代の“仏教創造”を描いた記念碑的著作、待望の本邦初訳。
目次
第1章 仏教の発見
第2章 仏教と「東洋精神」
第3章 ブッダ―神話から歴史へ
第4章 ヴィクトリア時代人と仏教の教義
第5章 ヴィクトリア時代の訓戒と仏教の実践
第6章 「盲目の異教徒」?
著者等紹介
アーモンド,フィリップ・C.[アーモンド,フィリップC.] [Almond,Philip C.]
オーストラリア、クイーンズランド大学名誉教授(宗教学・宗教哲学)。オーストラリア人文学アカデミー・フェロー
奥山倫明[オクヤマミチアキ]
東洋英和女学院大学教授、死生学研究所所長。博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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HANA
59
ヴィクトリア朝の英国が如何にして仏教を「発見」したのかを論じた一冊。英国人の目から見たブッダ像からその教義まで、それは多岐に渡っているのだが…。彼らの価値観の底にあるのが白人優越主義とキリスト教であるため、仏教自体もそのレンズを通して見る事となっている。特に面白かったのは教義についての部分。以前読んだ『虚無の信仰』もそうだけど、キリスト教からだと涅槃を理解するのは難しいのかな。現在の発達した仏教学から見ると原始的とか言う他ないが、何事も発達する以前はこういうものか。西洋の価値観を通した仏教面白かったです。2023/04/13
氷月
4
ヴィクトリア期の英国で「仏教」という概念が形成されていく過程。オリエンタリズムと宗教。言及されているのは南・東南アジア、チベット、中国までで覚えている限り日本はまだほとんど英国人の視野の外だったみたいだ。現にそこにある仏教ではなく文献から「真の仏教」を構築し、そこに当時の偏見やキリスト教界の主に護教的な関心を加え「仏教」が創り上げられる。またキリスト教も否定的に捉えられた仏教の反対のものとして肯定的に措定される(例えば堕落した仏教と違い、キリストの精神を未だに伝えるキリスト教というような)。2022/12/10
佐倉
4
19世紀のイギリス(そしてヨーロッパ)が如何に仏教と出会い、位置付けたかを探る。「見るべきところはあるかもしれないがキリスト教には劣る」「見るところも無い邪教」「東洋人の空想の産物」と当時の傲慢な意見が辟易するほど紹介されるが、そこには仏教という他者に写し取られた彼ら自身が見えてくる。植民地政策における支配の正当性、宗教改革の問題(仏陀は東洋のルターという意見)、理想的な紳士像、そして進化論の登場。絶えず常識が揺れ動いた時代、彼らの反応はただの傲慢と断罪できるものでもないのではないか?2022/07/11
Go Extreme
2
仏教の発見 仏教と「東洋精神」 ブッダ―神話から歴史へ ヴィクトリア時代人と仏教の教義 ヴィクトリア時代の訓戒と仏教の実践 「盲目の異教徒」?2021/10/01
S
0
言わずと知れた世界宗教のひとつであり、スリランカ、中国、韓国、東南アジアそして日本においてかなり信仰されている宗教。 今日では当たり前の認識ではあるが、そのことを人類が見出したのはそんなに古い時代ではなく、それは本書が焦点を当てる19世紀、英国が世界を支配する時期である。 上座部から大乗まで、神のような、人のような存在である“ブッダ”の教えを信じ、その存在を崇める宗教を“仏教” と括り、いわゆるアブラハムの宗教とは別系列の偉大な宗教として見出すまでの道のりはとても興味深い。2024/06/08