出版社内容情報
ひきこもる子どもたちの心理と病理を語ることは、この社会のほころびを語ることと同義である。子どもたちを「ひきこもり」の世界から解き放つ方法は、精神医学的ラベリングや「治療」という名の強制力で「ひきだす」ことではない。子どもたちの「ひきこもり」に出会い、邂逅し、真摯に向き合うことをとおして、彼らの「ひきこもり」をまっとうさせるための方法をいかに保証するかが、問われている……。
はしがき……「ひきこもる社会」の私たち[高木俊介]
〈座談会〉「ひきこもり」からみえてくる医療と社会[芹沢俊介+高岡 健+藤澤敏雄+高木俊介]
ひきこもりと小さな思想[塚本千秋]
ひきこもりは人格障害の一症状か?[高岡 健]
コミュニケーションからみたひきこもり―保健所精神保健福祉相談の経験から [高田知二]
「ひきこもり」の支援―多くの社会資源が連携した支援システムの一員としての精神科医の役割[幸田有史]
「ひきこもり」と漱石の視点[立花光雄]
近代市民社会と精神医療の共犯関係―幻のブレイン・ポリスは誰だ! [竹村洋介]
一カウンセラーの「ひきこもり」とのつきあい―登校拒否の「ひきこもり」から新しい意匠の「ひきこもり」への個人史[岡村達也]
ひきこもりと小さな思想……C氏との対話編[塚本千秋]
あとがき[高木俊介]
この数年の「ひきこもり」という現象に対する精神医療・医学からの反応をながめていると、社会問題をラベリングする、という精神医学に求められている役割は、つくづく変わらないのだなと思う。このラベルが90年代の半ばにマスコミによって使われはじめてから、一挙に市民権を得たのは、もちろんこのような現象が広く目につくようになったからでもあり、また、「ひきこもり」という言葉が時代の雰囲気とよくマッチしたからであろう。
かつて「しらけ」という言葉がこの社会でリアリティをもっていた時代があり、多くの人が「しらけ」の気分と行動を共有していた。しかし、その気分と行動に至る内面のありようは様々であったはずだ。それと同じように、多くの若者たちが今「ひきこもり」現象をきたしているからといって、その原因がひとつであるはずがない。それどころか、いくつかの類型化すら拒むかもしれない。そのような現象の多様性を吟味するより先に、「ひきこもり」というラベルが一人歩きをはじめてしまった。
ここで私たちはある既視感に襲われる。そう、同じことが「不登校」という現象をめぐって存在した時期は、そう遠いことではない。かつて子供の神経症の症状であるとされた浮かび上がらせることができたなら、「ひきこもり」という現象が今後どのように変化していくか、この次にはどのような問題として私たちの前にあらわれてくるか、ということにもいくらかの心構えができるであろう。それは次々と私たちの前に現れてくる現象に対してあくせくと粗雑なラベル貼りをするのとは違った成熟した態度を、精神医療・医学にもたらすことになるだろう。
このメンタルヘルス・ライブラリー「ひきこもり」は、他の業界専門誌やマスコミがこぞって行った「ひきこもり」論議とはひと味違ったものになる。私たちは「ひきこもり」を定義しない。私たちは、「ひきこもり」を特別な問題として切り取って社会に警鐘を鳴らそうとは思わない。私たちは、かまびすしい当面の議論から学問的にも実践的にも一歩距離を置いて、私たちが得た思いのうちに「ひきこもる」。そこから勇ましくなく語ろう。もちろんそれは哲学的サロン談義をしようというのではない。あくまで依って立つところはそれぞれの臨床現場である。しかし、一方で臨床現場に要求される実効性の圧力からは距離をおいてみるということである。それは、もしかしたら私たちの側に、「ひきこもり」の若者たちと同じ高さの視線を獲
好評メンタルヘルス・ライブラリーの第7巻です。
目次
座談会「ひきこもり」からみえてくる医療と社会
ひきこもりと小さな思想
ひきこもりは人格障害の一症状か?
コミュニケーションからみたひきこもり―保健所精神保健福祉相談の経験から
「ひきこもり」の支援―多くの社会資源が連携した支援システムの一員としての精神科医の役割
「ひきこもり」と漱石の視点
近代市民社会と精神医療の共犯関係―幻のブレイン・ポリスは誰だ!
一カウンセラーの「ひきこもり」とのつきあい―登校拒否の「ひきこもり」から新しい意匠の「ひきこもり」への個人史
ひきこもりと小さな思想…C氏との対話編
著者等紹介
高木俊介[タカギシュンスケ]
1957年生まれ。京都大学医学部卒業。光愛病院を経て、1992年より京都大学附属病院精神科勤務
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。