内容説明
国語教育における言語運用能力主義を問い直し、学習者の「主体」を形成する場として国語教育を再構築する。さらにカント哲学の視座からことばの学びを描き出すことで国語教育学と哲学とのあるべき関係を提示する。「ことばにならない何か」をめぐる冒険的な国語教育論。
目次
第1章 カント哲学における合理的行為者性―「わたし」の基礎となる認識・行為の主体とはどのようなものか
第2章 哲学と教育学、国語教育学の連続と断絶―(国語)教育学は哲学を「正当に」受容したのか?
第3章 国語教育の根源的問題意識―「ことばにならない何か」と対峙するとはどのようなことか
第4章 「ことばにならない何か」による「わたし」の形成と合理的行為者性―カント哲学の“課題”としての国語教育
第5章 「ことばにならない何か」と出会う文学の教室―「リア王」のリーディングシアターを通した「主体」形成のための実践
結章 「ことばにならない何か」からはじまる国語教育とは何か
著者等紹介
佐藤宗大[サトウタカヒロ]
日本女子大学人間社会学部教育学科助教。1992年栃木県生まれ。広島大学大学院人間社会科学研究科博士課程後期修了。博士(教育学)。専門は国語教育学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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アオペン
1
再読。国語科における「主体」とは何かを、教室の具体的な実践と理論の往還の中で深く問い直。言語化された発言だけを評価する授業の危うさと、「ことばにならない何か」を含めて子どもの思考や感受性を捉えようとする姿勢の大切さが浮かび上がる。巧みにことばを操る生徒が言語として表出したものばかりが注目される実践を前に抱いた違和感の正体が、徐々に言語化されていく感覚を得た。「言わんとすること」を受け止め合う場をどう構築するか、そのヒントが随所に散りばめられている。国語科の学びの深層に迫る、示唆に富んだ一冊。2026/03/01
よっちん
0
研究室2025/01/30




