エマアソン全集(全8巻セット)

エマアソン全集(全8巻セット)

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  • サイズ A5判/ページ数 8冊/高さ 22cm
  • 商品コード 9784820594130
  • NDC分類 938
  • Cコード C0397

出版社内容情報

平田禿木・戸川秋骨訳 斎藤光解説
底本:国民文庫刊行会版(大正6年2月~12月)

エマアソンの主要著作を集成。
近代の碩学平田禿木・戸川秋骨による翻訳は原著の思想と文体を適確に伝える格調あるテキストとして評価が高い。
エマソンの思想=宇宙はハーモニーであり、自然・神・人間は対応の思想(コレスポンデンス)から視れぱ同一のものの異なった現われでしかない。

《内容》
1.論文集(上)/歴史論・自信論・他
2.論文集(下)/智力論・芸術論・他
3.代表偉人伝/偉人の用・哲学者プレトオ・他
4.社交及孤独/文化・芸術・能弁・他
5.英国印象記/初回の英国訪問・邦土・他
6.文学及社会/詩と想像力*社会の目的・他
7.自然論・演説及講演/自然・便利・美・他
8.人生論/エマアソン小伝/宿命・権力・他


『エマアソン全集』に見る時代
斎藤光(東京大学名誉教授)
大正6(1917)年に刊行されたこの『エマアソン全集』全8巻は、明治期におけるわが国のエマソン受容の、いわば総決算と見ることができる。
それと同時に日本のエマソン受容史上の一つの頂点であった。
この『全集』は読書界に歓迎され、その発行部数はかなりのものであったにちがいなく、戦後二十年たっても、古書店で比較的容易に購入できたほどである。
しかしながら、この『全集』刊行の企画は、明治44(1911)年に玄黄社から発行された戸川秋骨訳『エマーソン論文集』(下巻は翌45年)が成功したために生れたものと思われる。
この秋骨訳は明治44年2月に初版、3月再版、翌年も2回重版、その後毎年重版されるほど歓迎された。
売れ行きのよかったこの2巻を目玉として、新『全集』に利用できれば一番よかったのであろうが、それが出来ず、この2巻は、平田禿木が訳さなくてはならなかった。全8巻を秋骨と禿木が4巻ずつ訳すのであるから、大変な仕事である上、全巻を大正6年1月のうちに刊行する企画であったので、二人は大正6年までの二、三年は、エマソン翻訳に忙殺されていたにちがいない。
秋骨訳『エマーソン論文集』や禿木秋骨訳『エマアソン全集』が出版物として成功を収めたのは、当時の読書界を魅了した二人の流麗な訳文のためばかりでなく、二人の評論家あるいは英文学者としての知名度のためもあったにちがいないとしても、何よりも、読書界に、エマソンを受け容れる素地があったためである。
つまり明治期30年ほどの間に、エマソン受容の素地がつくられていたからこそ、『エマアソン全集』は成功したのだった。
アメリカでは近年エマソン再評価が叫ばれている。研究の進展の著しい日本においても、平田禿木・戸川秋骨訳の『エマアソン全集』の復刻を期に、新たなエマソン論が展開されることを期待したい。

エマソン 点描
1803年5月25日、アメリカのボストンに生まれる。
父ウィルアムは、ユニテリアン派の牧師。
1817~21年、ハーバード大学に学ぶ。
この頃より日記をつけはじめる。
1821~25年、兄の経営する女学校で教鞭をとる。
1825~28年、ハーバード大学の神学校(大学院・中級)に学ぶ。
この間、説教者の資格をとり各地で説教を行なう。1829年3月、ボストンのユニテリアン派、第二教会の副牧師(間もなく牧師)となる。
9月、エレンと結婚(エレンは31年3月没)。
32年、第二教会を辞任。
同年末、ヨーロッパの旅に出る。イタリアではローマその他の地を訪ね、スイスを経て6月下旬パリ到着、33年7月末にはイギリスに赴きコウルリッジ、ワーズワス、カーライルなどに会い10月上旬帰国。
34年、この年より説教と講演および執筆によって生計をたてる。
9月、コンコードの牧師館(The Old Manse=のちにN・ホーソンが住み、『古い牧師館の苔』などを書いている)に移り、『自然論』の稿をすすめ、自然と親しんだ。
35年9月、リディアと結婚。
36年9月、『自然論』(Nature)上梓(処女出版)。
同書は、エマソン等の 唱えていた「トランセンデンタリスム」の宣言書でもあった。
40年7月、季刊雑誌『ダイアル』(フラー編集)創刊。
エマソンは編集にも関わったが、同誌によつてH・ソローはエッセイストとして認められた。
47年10月イギリスに赴き各地で講演、48年7月帰国。
二回の渡英でエマソンはイギリスから多くのものを学ぶ。
その後、没年まで思想家・宗教家・詩人として幅広い文筆と実践活動を続ける。
82年4月27日永眠、コンコードの墓地にはエマソンのほかエマソンと関わりの深かったソロー、ホーソン、オールコットなども葬られている。

訳者点描
●平田禿木
明治6年(1873年1月10日~昭和18年(1943)3月13日。
英文学者・翻訳家・随筆家。
本名喜一郎、通称喜一。
別号風潭・欝孤洞主・荒川漁郎・松茶庵・雪丸・無名氏等。
東京に生まれる。
一高中退、東京高師英語専修科卒。
三高教授ほか各私立大学で英文学を講じた。
『文学界』同人。
〔主要著書〕
最新英文学研究 大正2年、研究社
英文学印象記 大正13年、アルス
英文学散策 昭和8年、第一書房
禿木随筆 昭和14年、改造社
禿木遺響文学界前後 昭和18年、四方木書房
〔翻訳〕
虚栄の市(上・下)大正3・4年、国民文庫刊行会
デエヴイツド・カツパフイルド 大正14年~昭和3年、国民文庫刊行会
エリア随筆集(上・下)昭和2・4年、国民文庫刊行会
*「平田禿木選集」(全3巻)昭和56年、南雲堂
●戸川秋骨
明治3年(1870)12月18日~昭和14年(1939)七月九日。
英文学者・評論家・翻訳家・随筆家。
幼名明三。
別号は秋骨のほか、棲月・早川鴎村、早川漁郎・蒼梧桐・長帆・かげろふなど。
大阪中学・独逸協会学校を経て成立学舎ほかに学び、明治24年明治学院卒。31年7月東大英文科選科修了。
山口高校(旧制)・明治学院・真宗大学・東京高師・慶應大学・文化学院等で講じた。
『文学界』同人。
〔主要著書〕
西詞余情 明治40年、左久良書房
欧米紀遊一万三千哩 明治41年、服部書店
英文学講話 明治41年、東亜書院
時代私観 明治41年、日高有倫堂
英文学精講 大正4年、東亜堂書房
凡人崇拝 大正15年、アルス
英文学覚帳 大正15年、大岡山書店
戸川秋骨集 昭和4年、現代ユウモア全集刊行会
能楽礼讃 昭和5年、大岡山書店
都会情景 昭和8年、第一書房
〔翻訳〕
比較文学史 F・ロリエ著/明治43年、大日本文明協会
エマーソン論文集(上・下)明治44・45年、玄黄社
エマスン論文集(3巻)昭和13・14年、岩波文庫