内容説明
群像画の描法として“七福神”“十三仏”“二十五菩薩”を参考例に、それぞれの骨描き・彩色画を総集したほか、“仏画”の頂点とも称すべき“襖絵”“天井絵”の技法を紹介、さらに東大寺の歴史的大事業たる“昭和大納経”の経典絵をも収載した。
目次
第1章 仏画の基本
第2章 七福神の描法
第3章 十三仏の描法
第4章 二十五菩薩の描法
第5章 聖徳太子―襖絵の描法
第6章 四季の花―天井画の描法
第7章 昭和大納経
第8章 参考篇 下図
第9章 作例
付録
著者等紹介
松久宗琳[マツヒサソウリン]
大正15年(1926年)、仏師・松久朋琳の長男として、京都市に生まれる。本名・武雄。幼少より日本画を学び、仏絵師の門に入るも、病いのため父の膝下に帰って、仏師としての道を歩む。大阪・四天王寺中門の仁王像、滋賀・延暦寺大講堂の三尊仏、京都・鞍馬寺の三尊仏、京都・大覚寺の五大明王像、金閣寺の岩屋観音と四天王、大阪・四天王寺講堂の丈六仏、聖徳太子像、生駒聖天の文殊菩薩像、高野山東塔大日如来他二体、千葉成田山新勝寺五大明王などの彫造に従事。また、37年には京都・九条山に“京都仏像彫刻研究所”を開設して、後進者の育成指導に当り、39年以降、毎秋“宗教美術展”を開催するなど、現代の仏像彫刻界に確固たる地歩を築く。48年には“宗教芸術院”を設立し、『仏像彫刻のすすめ』『截金の技法』などの著作を教本として、広く一般の愛好者に伝統技法を公開し、“一人一仏”の宗教芸術運動を推進した。昭和60年に松久仏像彫刻会館を開設、作品を展示して一般に公開している。平成4年3月死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。