目次
1 戦争画のゆくえ―隠されたままの戦争責任(絵画は国家の庇護と統制のもとに置かれた―1941~45年;大人気の陸軍美術展;「戦争画」とは何か?―菊畑茂久馬氏の公開要求 ほか)
2 そのころの子どもは、親より教師より熱心に戦争をした(唆された一人として;青少年学徒に賜りたる勅語;1941年12月8日、対英米宣戦布告 ほか)
3 戦争画を一挙公開し、議論をすすめよう!(8月15日は空気を一変させた;再び出会った「アッツ島玉砕」;修身教科書「キグチコヘイ」 ほか)
著者等紹介
北村小夜[キタムラサヨ]
1925年生まれ。1950年から86年まで教員(1965年から退職まで特殊学級の担任)。「障害児を普通学校へ・全国連絡会」世話人(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
tu-ta
1
1925年、治安維持法の年の秋に生まれた小夜さんの新刊。そのエネルギーに敬服。2019/09/25
Mac Bune
0
藤田嗣治氏の戦争画については聞く機会もありましたが、その評価は分かれ真意は不明と知りました。自分がどう見るかというのと、当時どう受け取られたかは別物であるとの指摘も重い。2023/08/18
かばんもち
0
藤田が逃げたという表現はどうかと思う。最後の方で少しだけ言及していたけど横山大観は富士山の絵を乱発し、日本画壇を牽引していた。153点の戦争記録画という印象から洋画は叩かれやすいが、日本画家達も相当に活発だった。戦争記録画の全面公開は大賛成。文化庁のワケのわからない言い訳には苦笑しています。2021/05/29
Boobo
0
藤田嗣治の絵は好きだ。特に猫の絵。戦争画も描いていたのは知らなかった。戦争画だけでない、メディアの発信や学校教育によって、日本が勝つために貢献しなければと多くの国民が奮い立っていたこと、今のコロナにおけるメディアの体たらくに多くの国民が惑わされている現状と重なった。2021/05/19
gua5113
0
藤田嗣治の戦後の動向に関する著者の考え方に、若干の違和感を覚えずにはいられない。2020/09/20