内容説明
西欧近代からその伝統へと遡り、俗語文学と古典、政体と主体、キリスト教と異教のトポス、人文主義と国家、歴史と他者、の諸局面で、「臨界」の認識を跡づけることにより、「批評」の根源的な力を回復する。
目次
第1部 古典と臨界(俗語文学と古典;新歴史主義のニヒリズム;反「文化相対主義」の光)
第2部 政体と臨界(月のヴァレーリアあるいは『コリオレイナス』;政体と主体と肉体の共和原理あるいは『ジュリアス・シーザー』;イアーゴーの庭あるいは『オセロー』)
第3部 トポスと臨界(楽園の伝統と世俗化;噂・名声の女神の肉体性;チョーサーとイタリア)
第4部 人文主義と臨界(アルベルティーノ・ムッサートの『エチェリーノの悲劇』;トマス・モアの人文主義;エドマンド・スペンサーの『妖精女王』)
第5部 歴史と臨界(古代ギリシアの顕現;近代とその超越あるいはレーヴィット=シュトラウス往復書簡;カール・レーヴィットと日本)
著者等紹介
高田康成[タカダヤスナリ]
1950年東京に生まれる。1976年東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。1994年東京大学大学院総合文化研究科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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メルセ・ひすい
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13-69赤17 そのものずばり「批評」「臨界」歴史の中での「批評」とはナンゾヤ? シェイクスピアにみるローマ共和国の理念、トマス・モア王権と人文主義理念。★大上段に構えて何が悪い!歴史のありようを動物的に検証する。伊の小著『日本評論』、片腹痛いカール・レーヴィットの日本文化バッシングが、胸糞悪い・・相対主義の時代に精神を委ねてよいのか。西欧近代からその伝統へと遡り、俗語文学と古典、キリスト教と異教のトポス、人文主義と国家、歴史と他者の諸局面で、「臨界」の認識を跡づけることで、批評の再生をはかる2010/04/17
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