内容説明
丸山真男の福沢諭吉論(特にそのスピーチ擁護論)と清水幾太郎のG.ヴィーコ論(特にそのトピカ擁護論)を対質化することにより、両者が、学問歴、歴史論、真理論、知識人論等において相剋することを示し、その《レトリックの相剋》現象のもつ社会哲学的意義を、「主体的作為と人間的自然」「政治的人間と性的人間」「リベラリズムと共同体論」等の問題地平から分析する。
目次
第1章 レトリックの相剋―丸山真男と清水幾太郎(レトリックにおける「作為」と「自然」;レトリックにおける「学問」の転回;思想家にとっての「キー・パースン」―福沢諭吉とG.ヴィーコ;レトリックの克服対象;レトリックにおける「コンフリクト」と「コンセンサス」;レトリックにおける真理論;レトリックをめぐる知識人論;レトリックと公的空間)
第2章 レトリック・パラドックス・リベラリズム―「新たなレトリック論」の地平へ(二つの「レトリックのパラドックス」―清水幾太郎のレトリック理論;「社会的パラドックス」としての「レトリックのパラドックス」―K.R.ポパーのパラドックス理論;「社会的パラドックス」と「意味論的パラドックス」―市井三郎のパラドックス理論;レトリックの「自己言及構造」―Ch.ペレルマンのレトリック理論;「方法としてのトピカ」から「トポスとしてのトピカ」へ―G.ヴィーコのトポス理論;「弁証法論理の媒介契機」としてのトポス―中井正一のトポス理論;「弁証法」と「有機体説」―三木清のレトリック理論;レトリックとマイノリティー―井上達夫のリベラリズム理論;レトリックとコンセンサス―田中成明の対話的合理性理論)
-
- 和書
- たぶんねこ