目次
第1部 『かすかな昔の恋の影』(一九七五・春~一九八六・春)より(詩論;霊山;有無;私;ある志士の伝記 ほか)
第2部 『誰かのために』(一九八六・夏~一九九八・早春)より(柿の木を眺める;白い鳩;鍛冶屋の誘惑;ついている日;バツのわるい月曜日 ほか)
著者等紹介
金光圭[キムクワンギュ]
1941年1月7日ソウル鐘路区通仁洞七四番地で生まれる。1968年ソウル大学校大学院独文科修士課程に入学。1969年中央高等学校のドイツ語教師となり、1972年まで勤める。1972年修士学位を取得した後、ドイツへ留学。74年までゲーテ・インスティトゥートのドイツ語教師課程を修了し、ディプロマ取得。ミュンヘン大学で修学する。1974年帰国後、釜山大学校師範大学独語教育学科の専任講師となる。1980年、漢陽大学校文科大学独語独文学科の助教授。1981年詩集『我々を濡らす最後の夢』で第一回緑園文学賞を受賞。詩選集『月輪熊へ』で第五回今日の作家賞を受賞する。1983年文学博士号を取得。1984年詩集『違う、そうじゃない』で第四回金洙暎文学賞を受賞。1991年4月から9月までドイツのジーゲン大学独文科の客員教授。1994年詩集『違うだろう』で第四回片雲文学賞を受賞。1998年10月から翌年の3月まで、ウィーン大学の客員教授としてオーストリアに滞在。韓国現代文学を講義。2003年11月第十一回大山文学賞受賞。現在に至る
尹相仁[ユンサンイン]
1955年、韓国生まれ。82年、西江大学国文科(ソウル)を卒業後、日本に留学。85年より東京大学比較文学比較文化専門課程で学ぶ。91年、同大学院で博士号を取得。ロンドン大学客員研究員として留学ののち帰国。現在、漢陽大学日本言語文化学部教授。著書『世紀末と漱石』、韓国での漱石研究の第一人者
森田進[モリタススム]
1941年埼玉県生まれ。恵泉女学園大学教授。1978年に韓南大学助教授(韓国・大田市)、2000年に新羅大学客員研究員(韓国・釜山市)
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