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出版社内容情報
子どもの生活に広がるパソコン、インターネット、携帯電話……。マルチメディア洪水のなかの教育・学びはどうなる? 「情報=知識」という勘違いを超えて、情報やテクノロジーに振りまわされずに、コンピューターをどう使い、メディアとどうつきあい、学びを獲得するか。
プロローグ ぼくの後ろには道がない?
I 学びとコンピューター
1 教育はコンピューター文化をどうとり入れるか
過去の「教育工学」の反省を生かして
「教え」主義によるコンピューターの導入
テクノロジー信仰に根深い伝統
「教育工学」のイデオロギー
「教育工学」からの脱皮
「人間とはなにか」を問えない
「行動主義」批判から認知心理学へ
「思考の科学」としてのコンピューター科学
教育とコンピューターのあらたな出会い
子どもから学んだコンピューター言語
わが国の教育とコンピューター
2「学び」の転換
徒弟制度における「学び」から学ぶ
教師の「熱心」さが、子どもを観客にする
「教師」も「教材」もない徒弟制度の学び
学びとは、ともに考えともにやること
学びが「正統」とはどういうことか
「大切さ」の予感につられて学ぶ
「周辺的」であることの意味
自分が参加して、はじめて「学び」が生きる
「同質性」の幻想から脱皮する
「納得がいく」ということ、「腑に落ちる」ということ
自分流にこだわることが、世の中に通用する
II 教育とマルチメディア
1 情報化社会のなかの子主義・手続き主義」を批判する
「自分ならどうする」がない
知識は権威あるやり方で学ぶのか
子どもたちの自分流の算数のわかり方
タイルでやれば、もっとうまくいく?
「正しいわかり方」を習得するのが教育か
2「学びの復権」とは「教えの制限」か●松下佳代
佐伯胖さんの提案を発展させて
「知識の権威主義・手続き主義」批判-佐伯胖氏の問題提起とは
「わかる」ことについての理論の対立-シェーマと略図について
「わかる」プロセス-「知識の段階性」をめぐって
教室の数学文化-「探求の数学」と「塾の数学」をめぐって
3 タイルを使った「教え」は権威主義か●加川博道
佐伯胖さんの提案に実践で応える
「十進位取り」の授業-佐伯論文を受けて
小数点の位置はなぜずれる?-小数のかけ算のナゾ
「略図か、タイルか」を超えて
4「タイルで考える」ことはどこまで有効か 加川博道さんの反論に答えて
タイルはほんとうに有効だったか
略図による授業(案)
「タイルで考える」ことの不自然さ
5「数学する」とはどういうことか●小寺隆幸
佐伯胖さんへの手紙
「学校数学」の矛盾のなかで
タイルは自由
内容説明
いまや「家電」となったパソコン、学校に導入されるインターネット、“携帯電話”化する子どもたちのコミュニケーション…。情報=知識という勘違いから転換するマルチメディア時代の“学び”って、なんだ。
目次
1 学びとコンピューター(教育はコンピューター文化をどうとり入れるか―過去の「教育工学」の反省を生かして;「学び」の転換―徒弟制度における「学び」から学ぶ)
2 教育とマルチメディア(情報化社会のなかの子ども―マルチメディアが学校を変える;教育における「コンピューター革命」のゆくえ―情報「再編集」教育へ向けて;マルチメディア洪水のなかの学び―テクノロジー支配から「頭を冷やす」)
3 教えることと学ぶこと(「知識」は天から降ってくるのか―日本の教育の「権威主義・手続き主義」を批判する;「学びの復権」とは「教えの制限」か―佐伯胖さんの提案を発展させて;タイルを使った「教え」は権威主義か―佐伯胖さんの提案に実践で応える ほか)
エピローグ 能力というモノは存在しない―「能力」社会の行きづまりを超えて