東京空襲下の生活日録―「銃後」が戦場化した10カ月

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東京空襲下の生活日録―「銃後」が戦場化した10カ月

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  • サイズ A5判/ページ数 219p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784808309787
  • NDC分類 210.75
  • Cコード C0036

内容説明

昭和16年12月8日に始まった太平洋戦争。戦っていたのは、戦地に赴いた兵士だけではなかった。残された者たちも、戦況悪化の中、生きるために戦っていたのだ。乏しくなる食料、厳しくなる統制―。そして19年11月、いよいよアメリカ軍による空襲が始まった。空襲が開始されてから終戦まで、日本本土が戦場となった「銃後」の10カ月。東京大空襲・戦災資料センター館長でもある早乙女勝元氏が描く庶民の暮らしと、同センター所蔵の貴重な写真、資料をもとにした空襲下の日録が、戦争の真実を鮮やかにあぶり出す。

目次

昭和19(1944)年(B29がやってきた;粉ミルク一缶に親の涙)
昭和20(1945)年(『暗黒日記』と決戦兵器;和平ならずに雪天空襲;東京が火の海になった;らっきょうと金魚;炎されやまない人たち;銃後も一人残らず武装せよ;コメの配給一割減となる;一五日の正午までに)

著者等紹介

早乙女勝元[サオトメカツモト]
1932年、東京生まれ。12歳で東京大空襲を経験。働きながら文学を志し、自分史『下町の故郷』が20歳で刊行される。『ハモニカ工場』発表後はフリーで、ルポルタージュ『東京大空襲』(岩波書店)が話題になる(日本ジャーナリスト会議奨励賞)。70年、「東京空襲を記録する会」を呼びかけ、同会による『東京大空襲・戦災誌』が菊池寛賞を受賞した。99年に映画『軍隊をすてた国』を製作。2002年、江東区北砂に民立の「東京大空襲・戦災資料センター」オープンに尽力、館長に就任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ちさと

31
近代日本の戦争のほとんどが外征で、戦場は全て国外だった。メディアと軍部に煽られた国民は、本土決戦まで戦争の意味するものを正しく理解してなかったと思う。同じく仮に今戦争になればどういう混乱をきたすのか。私たちも理解できていないと思う。本書はB29の空襲開始から終戦までの10ヶ月間、都民の生活がどのように追い詰められていったかを再現しようと試みたものです。上意下達の銃後の護り。戦争の本当の姿はそれぞれの固有の生活を見て初めてよく見えてくる。1945年日本人の平均余命は男性23歳女性37歳。2018/12/14

スー

17
55こちらは月毎に写真と主な出来事と体験談がのっていて、とても読みやすく分かり易かった。特に食糧事情の悪化が表情されていて朝鮮、タイ、ベトナムからの輸入にかなり依存していたのが分かる、それが原因ですがベトナムでは大量の餓死者が出た。戦後ルメイには勲一等旭日大綬章が授与されなんて日本はおめでたいのかと思うが子供達にずっと憎しみを教え続けるよりまだマシか、この間ベトナム人にフランスやアメリカをどう思うか聞いてみたけどなんとも思わないし友好国だと言ってました、日本もアメリカとは関係が良い誇りとすべきかなのかな2019/04/09

更紗蝦

12
空襲下の東京の一般市民を苦しめていたのものは、爆撃による人的・物的な被害だけではなく、あてにならない配給による飢え、逃げることを許さなかった防空法、疎開による家族の分断などの「日常そのもの」を根底から奪う国家体制であったことがよく分かる本です。粉ミルクの特配の手続きには、医師の証明と、町会長の印と隣組長の印を押した書類を区役所で申請して、さらに警察の許可印も必要だったなどという、異様なまでの煩雑さは、「利用させるのを諦めさせるための嫌がらせ」としか思えない現在の福祉制度とまるっきり同じです。2017/03/21

柊子

6
その昔、卒論を書く際にアドバイスをいただいた作家さん。(「児童文学における戦争」というテーマ) 児童書『猫は生きている』に描かれていた場面がいくつもあって、実在の人達だったことに驚くが、実際にあの地獄を体験した作家さんでなければ、表現出来なかった児童書だろう。空襲より辛かった飢え・・・還暦近い私でも理解できないのだから、中学生には無理だろう。父や母から戦争体験をじかに聞くことが出来た私は、ある意味、幸せなのかもしれない。2014/01/14

rbyawa

2
e002、最近八王子の空襲、航空都市であった多摩の戦時中の様子などの本を読んでいたが、もともと知られているのがこの本にある東京市街地の話で、ただ少し、世代を経るに従ってそれを肌で知る人間が減ってきたのかなぁ、と思えるような書き出しや内容になっていた。祖父母よりも前だと直接話に聞いたことがないということ自体は仕方ないことなんだろうな、と思う。「銃後」というのは男を兵士に取られた女子ども、老人らの非戦闘地域の人間を指すのだけれども、まず男を取られ女が武器を作り始め、それから直接の空襲を受けた、まあそういう本。2014/01/02

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