出版社内容情報
東京新聞外報部記者であった著者は、海外支局勤務を終え東京本社に戻った。その翌月から肩こりがひどくなった。「疲れがでたのかな」。微熱とともに耳に沿って顔がはれた。近所の総合病院耳鼻科へ。白血病が疑われた。即日、救急車でガン専門病院に入院。その日から、妻や中学生・小学生・幼稚園児の3人の子どもと支え合う、500日の「闘病生活」が始まった。
「5年後の完治率30%」。働き盛りのサラリーマンが、ガン宣告された時、何を思い、どう行動するか。妻は、子供は……。
ある時は客観的に治療経過や医療現場をルポ、ある時は自らの思いを赤裸々に綴った迫真のドキュメンタリー。白血病は、最近、歌手・本田美奈子さんの死で注目を集めている。近年、格段の進歩をとげた、「臍帯(さいたい)血移植」によって著者は生還し、職場復帰を果たした。
中日新聞・東京新聞の連載「白血病入院日記」を大幅加筆。この連載は『05年度ファイザー医学記事大賞』を受賞した。
内容説明
45歳の私は臍帯血移殖を受け、「完治率30%」から職場復帰した。急性白血病に冒された記者が綴る迫真の記録。中日新聞・東京新聞に連載。ファイザー医学記事大賞受賞。
目次
第1章 完治率30%からのはじまり(肩こりと顔のはれで受診したら…;病院に現れた天使たち ほか)
第2章 骨髄移植か臍帯血移植か(兄と白血球の型適合せず;納得して「臍帯血を」を選択)
第3章 命の泉は大さじ2杯の臍帯血(精神科医も最終意思を確認;全身に放射線…白血球消えた ほか)
第4章 退院のめでたさは中くらい(「白血病は治るんだ」“金八先生”に励まされ;「わからない」の思い忘れずに)
第5章 すっかり死ぬ気がしなくなって
著者等紹介
草間俊介[クサマシュンスケ]
1957年10月31日、新潟県生まれ。81年3月、東京外国語大中国語科卒業。02年9月30日、急性リンパ性白血病と診断され、休職して、神奈川県立がんセンターで治療開始。03年3月19日、造血幹細胞移殖(臍帯血移殖)を45歳で受ける。同年6月19日、退院。04年6月1日、仕事に戻る。同年11月から、中日新聞・東京新聞で「白血病入院日記」を連載。第24回(05年)のファイザー医学記事大賞を受賞。本業は、中日新聞・東京新聞の記者。得意な分野は中国経済。香港、台北支局勤務の経験あり(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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