• ポイントキャンペーン

地の果てに挑む―マナスル・南極・北極

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ B6判/ページ数 255p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784808308322
  • NDC分類 292.58
  • Cコード C0075

内容説明

東京・品川の「船の科学館」を訪れると、鮮やかなオレンジ色の船が目に入ります。往年の南極観測船「宗谷」(二、七三四総トン)です。「宗谷」は、ソ連通商代表部の発注で建造された三隻の耐氷貨物船のうちの一隻で、昭和十三(一九三八)年六月に完成しました。しかしソ連には引き渡されず日本海軍の特務艦となり、戦後は海上保安庁の灯台補給船に生まれ変わりました。そして昭和三十一年から三十七年まで、六回にわたる南極観測に参加しています。私は「宗谷」より二十年早く、東京で生まれました。「宗谷」完成時は旧制松本高校の生徒で、北アルプスを歩き回っていました。この山好きが後の南極観測参加につながるとは、もちろん夢想だにしませんでした。昭和三十一年十一月八日、第一次南極観測隊員として乗り組んだ「宗谷」は、小雨に煙る東京港を出航しました。このとき私は三十八歳。以来観測隊長を四回、越冬隊長を三回務めるなど極地一筋に生きてきました。

目次

第1章 「極地人生」いざ序幕(中学時代から「山」に魅せられて;「ああ信州よ」―旧制松高時代;海軍生活;終戦、そして、サラリーマンとなる)
第2章 ヒマラヤ・マナスルへ(マナスル登山前史;マナスル先発隊、飛び立つ;登頂への決意―第一次遠征隊;第二次遠征隊とサマ事件)
第3章 南極へ1(国際社会への復帰;第一次観測隊―昭和基地建設;第二・三次観測隊―越冬断念と基地再開;南極探検の先駆者―田瀬矗;極点に魅せられた南極野郎たち;第五次観測隊と基地閉鎖)
第4章 南極へ2(観測再開と砕氷船「ふじ」;第九次観測隊長兼越冬隊長;念願の極点調査旅行;極点到達)
第5章 その後の南極観測とヒマラヤへの回帰(第十五次観測隊、砕氷艦「しらせ」;南極飛行、僻地に生きる日本人;南極の原点ヒマラヤへ)

著者等紹介

村山雅美[ムラヤママサヨシ]
1918(大正7)年、東京生まれ。旧制松本高校を経て、1941(昭和16)年、東京大学経済学部卒業、と同時に敗戦まで海軍に服役。高校時代からスキー・登山に親しみ、会社勤務の傍ら、1953(昭和28)年より三次にわたりマナスル登山に挑んだ。南極観測には、1956(昭和31)年、第1次隊より参加。1967(昭和42)年、第9次観測隊長兼越冬隊長として、南極点往復調査旅行を敢行。横浜国立大学工学部講師、国立科学博物館極地学科、付属極地センター勤務を経て、国立極地研究所教授。現在は、同名誉教授。日本山岳会名誉会員。「南極観測の将来を考える会」会長
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

トムトム

29
冒険家、知らないだけでたくさんいるんだなあ!村山さんの自伝のような本です。戦争の記録もあります。水木しげるさんの壮絶な戦争記が有名ですが、直接戦闘に参加しないまま終戦を迎えた人たちもたくさんいます。満州にいた私の祖父母は、戦況の情報が何も入ってこないのでノホホン暮らしていたそうです。はたまた北海道の祖父母は、食べ物に困る事もなく割と普通に暮らしていたと言っていました。衝撃的な戦争話だけでなく、話題に上らないような普通の話もあるのですよ♪なお、冒険野郎はすごいなぁと思いました。2021/08/11

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/884650
  • ご注意事項

最近チェックした商品