雨の日の出獄

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  • サイズ B6判/ページ数 285p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784806755975
  • NDC分類 326.81
  • Cコード C0023

出版社内容情報

1945年10月9日、雨。1人の小学校教師が豊多摩刑務所を出た。
人間平等をかかげた教育が、体制から問われて責められて2年5ヶ月の獄中生活。
己れの信念を貫いた夫、戦時の逆流に巻き込まれてしまった若き妻……治安維持法の暗き時代を、2人が交わした葉書、日記、資料をもとにつづった感銘深きドキュメント。

【書評再録】
●共同通信全国配信記事(神奈川新聞ほか)(1996年8月18日)=民主主義者、自由主義者までもが狙われた過去を、破防法がうんぬんされる現代に重ねて考えるのも大事だろう。

【内容紹介】本書「あの時代のこと」より
 本書は、ものごとを自由に考え、実行することが許されぬ時代に生きざるを得なかった、一組の夫婦の物語を記したものである。小学校の教師とその妻という、いまの時代ならごく平凡な生活を送ったであろう二人は、1943年に悪名高い治安維持法によって獄の内外に引き裂かれ、さまざまな苦難を味わうこととなった。これは当時、ことさら特異なケースだったとはいえず、事情によってはだれもがそうなり得る危うい時代であった。
 昭和の初めから1945年8月15日の敗戦までの時代は、天皇は神の子孫の現人神として、神聖にして絶対的な統治者であることを国民に叩き込む政策がとられた。こうした絶対主義的天皇制について、疑問や批判を持っていることがわかると「非国民」とされ、さらに昭和十年代以降になると、治安維持法違反で検挙されるようになった。教育の現場で、人を人と認め合う「人間平等観」の教育が許される時代ではなかったのである。
 私が滝野川区(現・北区)の滝野川東高等小学校に転任したのは、1939年4月である。この年度には「国家総動員法」により第一次労務動員計画が立てられ、一年間に必要な一般労働者総数を約109万5000人と推算して、労働力の供給源の第一を高等小学校新規卒業者においた。労務に関する法令がいくつも出され、国営の職業紹介所なども発足した。しかし、態勢が整わず、労働力を計画通りに集めることはできなかった。
 とくに重点のおかれた軍需産業では労働力不足が著しくなり、卒業期には学校近くの軍需工場の労務係が求人に殺到した。政府は必要な労働力を充足するため、「青少年雇入制限令」を出し、小学校・中学校卒業生は第三次産業や平和産業には就職できなくなり、職業選択の自由が禁止された。このころ、宿直の夜、何人かの児童の父親から相談を受けた。
「子供を一生、職工で終わらせるよりも、将来商店の主人にしたいので、知り合いの店に小僧にやりたいが、先生なんとかなりませんか」と頼まれたが、私には工場で熟練工となる意義を説明することしかできなかった。こののち、第二次・第三次労務動員計画と続き、時局に不急不要な商業・サービス業従事者の強制的転職などまで実施された。
 こうした中で、1937年から翌年にかけて、人民戦線事件として社会民主主義グループの学者や評論家、日本無産党とその傘下の労働組合幹部らが治安維持法違反で検挙された。当時の司法省当局は、「今や民主主義、自由主義の思想は、共産主義思想の発生の温床となる危険性が十分ある」と発表した。この見解では、東京帝国大学セツルメントでの活動を生かし、東京市の小学校で、子供たちが合理的、自主的にものごとを考えられるような教育実践をしたいと願っていた私たちのグループにも、いつ治安維持法違反の検挙の手がのびるかもしれなかった。
 40年には、上代史・神代史の学者、津田左右吉の著書が、日本上代の各種文献の実証的研究によって「紀元2600年は認められない」としたことが問題となり発禁とされ、さらに「皇室の尊厳を冒涜する」として、著者と岩波書店は起訴された。このような思想弾圧は、こののちますます激しくなり、「戦争は負ける」といっただけで、治安維持法違反として検挙される者もいた。いまの若い人たちには想像もつかぬくらい恐ろしい時代だった。
 いま、オウム真理教事件をきっかけにして、破壊活動防止法の適用が論議されている。かつて、人間平等観に基づいた教育が治安維持法違反とされたが、この法律は治安維持法と性格を同じくするものである。そういう意味でも、本書はとくに若い世代の人たちに読んでもらいたいと念じている。

【主要目次】
▲▲プロローグ・雨の日の出獄
▲▲第1章・苛酷な特高警察
   昭和18年5月10日/東京帝国大学セツルメント/五年二組の学級訓--千駄ケ谷第二尋常小学校/職業指導の実践--滝野川東高等小学校/神山茂夫--観劇の誘い
▲▲第2章・生い立ち、青春、結婚
   椿子村と千駄ケ谷/青春の日々/逮捕までの四年間
▲▲第3章・獄中の二年五ヶ月
   巣鴨警察署(昭和18年5月~19年3月)/東京拘置所(昭和19年4月~20年6月)/豊多摩刑務所(昭和20年7月~20年10月)

内容説明

治安維持法に問われた教育実践。’45年10月9日、雨。1人の小学校教師が豊多摩刑務所を出た。人間平等を掲げた教育が、体制から問われ責められて、2年5カ月の獄中生活。己れの信念を貫いた夫、戦時の逆流に巻き込まれてしまった若き妻…。破防法の適用が論議されているいま、治安維持法の暗き時代を綴ったドキュメント。

目次

1 苛酷な特高警察
2 生い立ち・青春・結婚
3 獄中の2年5カ月

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