内容説明
明治35年1月、青森歩兵第5連隊と弘前歩兵第31連隊の二つの部隊は、それぞれ別のコースをとって八甲田山雪中行軍に挑んだ。青森隊210名はほぼ全滅、一方の弘前隊38名は見事に踏破を果たした。二つの部隊の運命を分けたのは何だったのか?弘前隊を成功に導いた指揮官・福島大尉を軸に、その謎の核心にせまる。
目次
序章 明暗を分けた二つの八甲田山・雪中行軍隊
第1章 青森隊、名誉と威信をかけ真冬の八甲田山に挑む
第2章 弘前隊指揮官・福島泰蔵、八甲田への助走
第3章 青森隊、大寒波の中をさまよい続ける
第4章 死の迷走(青森隊)と一気の山越え(弘前隊)
第5章 なぜ二つの行軍隊は明暗を分けたのか
終章 その後の福島泰蔵
著者等紹介
山下康博[ヤマシタヤスヒロ]
昭和15年、青森市に生まれる。昭和38年3月、法政大学法学部卒業。青森商業高校、青森中央高校での24年間の教員生活を経て、昭和62年4月、実業界に転身。青森市内の企業再建に役員として参画(幹部教育、営業戦略担当)する。平成3年、講演・社員研修を主業務とする(株)セミナー青森を創業、代表取締役になる。以後16年間で、東北を中心に全国各地で、経営者・幹部を対象に3,000回以上の講演活動を展開している。主な講演テーマは、八甲田山雪中行軍をはじめ、織田信長の戦略、豊臣秀吉の発想力、上杉鷹山の部下育成など多岐にわたる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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えみ
59
「八甲田山雪中行軍遭難事件」から見えてくるリーダーシップの重要性が悲劇の大きさと共に論じられていてまたこの事件から学ぶ。明治35年の青森歩兵第5連隊八甲田山遭難に興味を持ちこれまで書物等で調べてきた私見として、敢えて事故ではなく事件とする。同時期に雪中行軍に出た210名中199名が亡くなった青森隊と無事に生還を果たした弘前31連隊、何が違ったか。一言でいえば何もかも違った。それでも一番はリーダー、弘前隊の福島大尉の統率力だと改めて思う。上官に必要なもの、確固たる意志と危機に瀕した時の対応力、鼓舞する力だ!2021/08/01
かおりんご
35
ビジネス書になるのかな?前半は青森軍と弘前軍の装備や行動を比較。歴史的にどうだったのかの説明なのだけれど、後半はビジネスに置き換えて、どういうリーダーが必要なのかや、企業体制などについて語られていた。あの犠牲があったからこそ、日露戦争で凍傷者を多くださない工夫がとられたのは驚き。八甲田山には1回だけ夏に登ったけれど、後藤伍長が見つかった場所や資料館には行ってないのでいつか行きたいと思った。2015/05/31
ank
1
八甲田山雪中行軍を成し遂げた弘前隊の徳島大尉を詳細に取り上げています。読書かであり研究熱心で几帳面な仕事ぶりが、困難な行軍を成功に導いたのだろうと思います。そして組織の管理する立場の人間が自己研鑽することにより、全体のレベルアップに繋がると解いています。 私はどちらかというと神成大尉に近いかなと思いました。こればかりは素質や生育歴もあるでしょう。ひとつ言えることは徳島大尉は、徳島大尉はとても魅力的な人であり、戦争で早逝するのではなく、生きてその能力を発揮していて欲しかった。戦争反対!2016/02/01
くらーく
0
片やほとんど全滅。こちらは全員生還。違いをもたらした違いは、指揮官の決断。リーダーは誰が選ぶのか?少なくとも亡くなった兵隊ではないはずだ。
まり
0
102019/01/07