内容説明
太平洋戦争終結にあたり時の総理総裁、鈴木貫太郎に「耐え難きを耐え忍び難きを忍び…」の文言を進言し、天皇を国家の「象徴」と定義するよう発案した玄峰老師。“今白隠”と呼ばれた、山本玄峰老師。伝記と追悼集の決定版。
目次
1 出自
2 修行時代
3 住職時代
4 外遊
5 晩年
6 雑載
語録
付録
思い出のかずかず=五二編
年譜
著者等紹介
高木蒼梧[タカギソウゴ]
1888年生~1970年歿(82歳)。俳人・俳文学者。本名は錠吉、通称は譲。別号に望岳窓主人。愛知県生。『万朝報』『東京朝日新聞』記者。『石楠』『木太刀』等に俳句を発表、冬葉・乙字・亜浪らと交友する。沼波瓊音・伊藤松宇・幸田露伴等の感化で、俳諧研究『連歌俳諧研究』『俳句研究』を執筆。1960年『俳諧人名辞典』(明治書院)により文部大臣賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Hiroshi
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「駿河には過ぎたるものが2つあり、富士のお山と原の白隠」と唄われる。白隠とは、臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧である。昭和初期に今白隠と言われた、山本玄峰の伝記。昭和38年に出版され、平成21年に再出版された。慶応2年に和歌山県の湯の峰温泉で生まれ、素封家の岡本家に養子に出され、育てられた。青年時に目を病み、四国遍路7回目の途中に雪蹊寺で行き倒れとなり、山本太玄和尚に「心の眼が一度あけばつぶれない」と教えられ、得度することにった。目がほとんど見えず、文字を習っていないので、大変苦労のいる修業だった。2017/09/25
空飛び猫
0
老師について様々な角度からその偉大さを示す。 資料として2014/11/12