内容説明
名も無く貧しく愚かしく、世の底辺に身を置きながら、こと信心にかけては高僧の達した境涯を淡々と生きた人々―。因幡の源左、有福の善太郎、田原のお園、讃岐の庄松、浅原の才市。その常人を超えた言動・エピソードを味わい、浄土真宗の教えを平易に解説。
目次
1 因幡の源左(「ようこそ、ようこそ」;「偽になりゃもうええだ」 ほか)
2 石見、有福の善太郎(「善太が出ました」;「おはずかしや、おありがたや」 ほか)
3 三河、田原のお園(「落ちればこそ」;「お差支えなし、ご注文なし」 ほか)
4 讃岐の庄松(「兄貴、覚悟はよいか」;「そんなこと聞いて何にする」 ほか)
5 浅原の才市(「あさましや、ありがたや」;「虚空もわしもみな仏」 ほか)
著者等紹介
亀井鑛[カメイヒロシ]
昭和4年、名古屋市に生まれる。旧制愛知県商業学校卒業。昭和32年、現(株)千代田を創業、現在会長取締役(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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べいやん
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口達者の人は賢い人が多い。言い負かすことに快感を得ている者もあるのでは。そういうたぐいはたとえ正論でも伝わらない。僕も頭の回転が遅いし議論とかになれば聞き役、後手にまわることが多い。そして負けたとか悔しいとか思うこともあるし、逆に自分の意見を主張する時もあるし、なんとまぁ浮き沈み激しいあさましい己であります。この本には、そんなどうしようもない自分に気づかされた。本当の賢者は、口で相手を説き伏せたりするんじゃなくて、聞いて共感して導くんだと思う。慈悲のこころで聞き法を説く。そんな僧になりたいと思った2015/01/24