小津安二郎はなぜ「日本的」なのか

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小津安二郎はなぜ「日本的」なのか

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  • サイズ A5判/ページ数 376p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784801007994
  • NDC分類 778.21
  • Cコード C0074

内容説明

小津の作品につきまとう「日本的」という形容詞は、いったいいつ、誰によって、どのような意図で発せられたのか。作品をめぐる国内外の言説を精査することで、「日本的なもの」の多重性を明らかにし、その核心に迫る。

目次

第1部 「日本的なもの」の形成―一九二〇年代後半から一九四〇年代前半まで(「日本的」映画の成立と小津映画の役割―一九二〇年代後半から一九三五年まで;「伝統的なもの」から「日本人らしさ」へ―一九三五年から終戦まで)
第2部 戦後の議論―敗戦から一九六三年まで(「最も日本的な監督」としての定着―終戦から一九五五年まで;「古い伝統」の象徴的存在―一九五六年から一九六三年まで)
第3部 ローカルな議論を越えて―一九七〇年代から一九八〇年代(一九七〇年代のアメリカにおける文化論的解釈;一九八〇年代における「日本的なもの」の転覆)

著者等紹介

具慧原[グヘウォン]
1988年、韓国の釜山に生まれる。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。現在、釜山大学映画研究所専任研究員(韓国研究財団人文社会学術研究教授A)。専攻、映画研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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