内容説明
1960年代から写真家、そして批評家として注目を集める存在となった中平卓馬(1938‐2015)。初期から晩年までの撮影行為と執筆活動の軌跡をたどり、“記憶”を鍵に写真が存在する地平そのものの条件をラディカルに思考する、出色の写真論。
目次
第1章 アレ・ブレ・ボケから自己批判へ(『プロヴォーク』創刊;アレ・ブレ・ボケ;ウィリアム・クライン;気配で撮ること;記録写真の系譜;中平の記録論;たしからしさの「風景」を引き裂く;記録論の転換;意識産業批判;デノテーションとコノテーション)
第2章 植物図鑑という概念と写真(事物の視線;植物図鑑;決闘写真論;沖縄、奄美、吐〓喇、そして他なるもの)
第3章 記憶喪失になること(私とは他者である;マイナー写真;写真の構成;われわれは記憶喪失になる)
著者等紹介
江澤健一郎[エザワケンイチロウ]
1967年生まれ。専攻、フランス文学。博士(文学)。現在、立教大学兼任講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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kentaro mori
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謎に満ちた『なぜ、植物図鑑か』ー記憶喪失後の論考が勉強になった。「神話」にしないで見ること。●フィルムを用いる一眼レフカメラは、ファインダーから覗き見る世界が、カメラのレンズが見る世界と極力一致するように作られている。レンズを通ってカメラに入る光は、フィルムを感光させる。だが、そのレンズとフィルムのあいだには鏡が介在している。シャッターが閉じているあいだは、レンズを通して入る光はフィルムに届かず、あいだに介在する鏡に反射して、その反対像がファインダーから見える構造になっている。そうしてファインダーを覗く2023/09/14
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写真のイメージは「人間的知覚から異化された非人間的知覚」であり、「カメラが知覚したそのイメージは、誰かの知覚ではない非人称的知覚、知覚対象である」。初期のアレ・ブレ・ボケから植物図鑑、記憶喪失、子供、動物の写真に至るまで一貫してこれであり、「写真は、非人称的な知覚対象として現れ、来るべき人々がそれを知覚することを待望している。(…)そして知覚されるとき、写真という物質は植物的なイメージとなり、われわれの知覚となり、われわれをマイナー化する。そうして、マイナー写真は、来るべき民衆を生み出すのである。」2021/11/08