内容説明
「隣人」としてのバルト、フーコー、リオタール!20世紀後半に世界を席捲したフランス現代哲学の星座の中を、ひとつの星屑=流星として漂流した著者による、内部観測のドキュメント。論文、書評、対談、エッセイをはじめとした、あらゆる形式のテクストを収録。
目次
第1部 フランス現代哲学の星雲(主体を超えて、しかし“人間の尺度”;“人間”の哲学;“ポスト・モダン”の選択;自由への横断―ライン川を超えて;難解さについて―エクリチュールの物質的な抵抗;法をかいくぐってパラレルに(Subrepticement parall`ele))
第2部 身体・空間・歴史―ロラン・バルトとミシェル・フーコー(外へ、限界を開く;アルケーとしての分割―分割線上のフーコー(1)
幻の『外の思考―言語と死』―分割線上のフーコー(2)
一九七八年のミシェル・フーコー
書評テクスト―われわれはフーコーへと回帰しなければならない)
第3部 快活な自由の哲学―ジャン=フランソワ・リオタール(いま、響く“大地”の笑い;哲学/西欧/歴史―リオタールとの対話;響きを聴く;倫理とはエクリチュールが引き受けるべき負債である)
著者等紹介
小林康夫[コバヤシヤスオ]
1950年、東京都に生まれる。東京大学名誉教授。哲学者(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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とみぃ
15
小林康夫さんの本は、言いしれぬオーラを伴いながらも、その文はちんぷんかんぷん、しかしある瞬間に目を見開かされる文章や引用文に出会う、そんな経験を与えてくれる。本書では、フーコーについての思索の中で出てくる「作品の不在」をめぐる引用、「世界の歴史の大いなる作品は、ひとつの〈作品の不在〉に消しがたくつき従われている」という言葉に引きつけられた。そうした熾熱と特異性によって裏打ちされているだろう本であるにもかかわらず、OCRの識別ミスと思われる誤字があちこちに見られたのは、ちょっと笑っちゃったけどやっぱ残念。2021/02/27