内容説明
身体の可能性を“建築”に見出そうとする荒川と、哲学者・小林が、美術・文学・哲学を横断しながら、あらゆる既成の概念の根幹を問い、「知の総合」を目指す、衝撃の対話!
著者等紹介
荒川修作[アラカワシュウサク]
1936年、名古屋市に生まれ、2010年、ニューヨークに没した。美術家/建築家。1961年に渡米、以降ニューヨークを拠点に、夫人で詩人のマドリン・ギンズとともに活動
小林康夫[コバヤシヤスオ]
1950年、東京都に生まれる。東京大学大学院博士課程、パリ第十大学(ナンテール)大学院博士課程修了。現在、東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授。専攻、フランス文学、哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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エンピツ地獄
2
小林康夫レベルの哲学者が素朴な常識人に見えてくる。最早ブッダとその弟子ぐらいの感じ。それにしてもなぜそれほどまでに偉いのか? 普通、このような思考を世間はバカと判断する。人間の論理が主義やらイデオロギーやらと対決するに際して、ここまでのスケールの成熟の拒絶にきて、やっと世界を転覆させる規模の犯罪に近づくような興奮が得られるということを、まだ他の誰も示し得ていない。それが本当であれば、たぶんその論理は間違っているし、つまりデタラメなのだが、久々に興奮した本。2016/03/27
TOMYTOMY
1
荒川さんに流れるカオス、それは混乱という言葉に当てはまらない複雑な思考の流れ。 中々彼のことを捉えきれない、もちろん彼の他の著書で学まなければ。 現在を、予知するような発言やデジタルネーチャーへの匂いもあったり、やはり天才である。2018/10/04
保山ひャン
1
養老天命反転地の美術家、建築家の荒川修作と哲学者の小林康夫の対話集。プラトンが禅問答してるような趣きの本で、荒川のぶっとんだ発想を引き出すために小林はあえて正反対の立場をとって議論をもちかけているようにも見える。と、いうのは小林は荒川のいいたいことを代弁するシーンも多々あって、荒川を充分に理解しているのがわかるからだ。「われわれはまだ形容詞について語れる段階に達していない」「私が一週間でも総理大臣になったら『手を地面につけて歩くこと』という法律を作りますね」「幾何学を実践すると、すべてお化けなんです」等2016/04/14
Taxxaka_1964
0
例えばエヴァンゲリオンのラストを、或いはヴィトゲンシュタインの断章を想起する。しかし荒川が本当に「死なないために」その芸術すら逸脱するために建築の実現に晩年を捧げたことが、この本からは身体的に伝わる。言葉と個の呪縛に囚われた人を、本質的に解放されることを、ここまで真剣に考え、具体に行動する人は他に知らない。2015/09/03
毒モナカジャンボ
0
死は最後通牒であり、二人の思考は極めて唯物論的であり多くの共通部分を持ちながらここを境目にして分かれることになる。死を全面的に肯定し、自然-人間の二分法や目的の問題を問題たらしめる生と死の断絶を死の側へ包摂するというやけっぱちにも思える小林と、人間を人間たらしめてしまった言語以降の世界から脱出し、身体・有機体の実証実験によって死を再定義することへ向かう荒川。そんな気はしていたが荒川はやはりマルクスの系譜を受け継ぐ、世界や私の成立条件に人為的に介入せねばならないという実践の哲学者であり、生粋の革命家なのだ。2020/11/04