内容説明
社会全体を俯瞰する手軽な説明原理が蒸発した現代では、相互に浅く到達できる多様な営みが至るところで開かれる。その自由と倦怠―。「カフェ」「東京」「自動車」「ファミレス」「ライトノベル」「教育産業」「家族イメージ」「コンプライアンス」「ネット言論」「社会学」…。41の文化形象を追いながら、フラットな時代の地平を問う。
目次
序論 フラット・カルチャーを考える
1 社会の風景
2 フラットな快楽
3 私的空間の圏域から
4 ネット/メディアのなかの文化
5 言論の多重と平板
著者等紹介
遠藤知巳[エンドウトモミ]
1965年生まれ。日本女子大学人間社会学部教授。近代社会論、言説分析、メディア論、社会理論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ぷほは
7
3.11前の民主党政権下の刊行ながら、現代文化に関する社会学的な要点はほぼ埋め尽くされている。同時に、われわれが00年代の風景を急速に忘却し始めている事を思い知らされる。復興五輪の前にはノスタルジー映画があり、ユーチューバーの前にはカリスマやセレブがおり、スマホの前には「ググれカス」があった…。階層、世代、メディア、ジェンダー、場所性、そういった文化と社会を繋ぐ位相が急速に蒸発しつつ、なおも生ける屍としてその境界を有し続ける中、如何なる思考と記述の可能性があるか。本書全項目を通読する価値は失われていない。2022/03/23
センケイ (線形)
4
類似のものがいくらでも横に並置されるなか、全体を見渡す視点は失われてしまったのか。これがカフェやヴィレバンといった多くの項目毎に解きほぐされ、身近なモノゴトが現象として解きほぐされていき、目が離せない。確かにそうした言及を見るだに、どのモノゴトにおいても先入観だけが先行し、鳥瞰的な視点を持てなくなっていると分かる。しかし、このフラットさの仮説は本当に(どこまで)有効なのか。この本はこのメタな疑問に対しても丁寧で、その有効範囲の策定方法や、社会学自身の位置づけまでも振り返る堂々のエンドで締めくくられる。2018/12/30
たろーたん
2
規範や価値観の相対化が進み、サブカルと言われたものにさえ語るだけの厚みが出て、また趣味の境界性・結界性さえも緩んできた。そのため、現代思想のようなハイカルチャーもオタクのようなローカルチャーもフラットになってしまう。 また著者は、フラット化した社会では、多様性を認めているように見えるものの、その根幹の部分は変わらないと指摘している。2018/02/05
しゅんどーん
1
流行文化について改めて見つめ直す。2019/11/07
もつ
1
こんなことアカデミックに分析できるんだっていう、ね、カルチャーとの距離感の取り方。殴って避けて、っていう間合い。俺なんかもうクリンチしまくりだもん。そんな感触だけの人にとっては、参考になる一冊。フラットさに関しては感触通り。2014/01/25
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