内容説明
赤とんぼ、この道、からたちの花…かずかずの名曲を生んだ山田耕筰、みずからその苦難と波瀾にとんだ青春時代を赤裸々に綴った感動の名作。
目次
小さな歌の狂人(『主われを愛す』;築地居留地 ほか)
上野の杜(ひらかれた門;善友悪友 ほか)
ベルリンの青春(王立音楽院;悲報 ほか)
私の名はペテロ(ドレスデン綺話;絵画と音楽 ほか)
シベリアの旅(歌曲集の出版;別れの日 ほか)
著者等紹介
山田耕筰[ヤマダコウサク]
1886年生まれ。1904年、東京音楽学校予科へ入学。翌年本科声楽部に進級。1908年、本科卒業。1912年、日本人で初の交響曲『かちどきと平和』を卒業制作。1914年、三木露風主宰「未来社」同人となる。12月日本最初の交響楽演奏会開催。小山内薫と「新劇場」を結成。1918年、カーネギー・ホールで自作の管弦楽曲による第一回演奏会開催。翌年第二回を開催。1920年、三木露風主宰「牧神会」同人に。日本楽劇協会創立。1922年、東京市民合唱団を組織、北原白秋と雑誌『詩と音楽』を創刊。1925年、雑誌『女性』に「からたちの花」を発表、日本交響楽協会を創立第一回演奏会を開催。1927年、日本初のトーキー映画「黎明」の音楽を担当。1936年レジオン・ドヌール勲章を授与。大日本音楽協会副会長就任。1942年帝国芸術院会員。1944年、日本音楽文化協会会長。1948年、脳溢血で倒れる。1950年、第一回放送文化賞。1951年「山田耕筰賞」を設立。第一回を団伊久磨作曲「夕鶴」に贈る。1956年11月文化勲章受章。1965年12月29日、心筋硬塞のため七〇歳にて死去
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