内容説明
戦前・戦中・戦後を通して語り継がれた食と生活から見えてくる激動の時代とは。歴史学・地理学・社会学・文化人類学を横断しつつ、問いかける「胃袋の現代」論。
目次
序章 食物語
第1章 あなたの胃袋誰のもの?―胃袋がたどった二〇〇年
第2章 空腹の記憶―戦争と飢え
第3章 生まれて初めて食べる味―戦後をつくった食の経験
第4章 土と米と暮らしの戦後史―高度経済成長期の食と農
第5章 一億総中流社会の憧れと胃袋―大量生産・大量消費時代の到来
第6章 消費者の誕生と食をめぐる意志―抵抗する胃袋
第7章 高度消費社会と胃袋のゆくえ
終章 胃袋から見た現代
著者等紹介
湯澤規子[ユザワノリコ]
1974年、大阪府生まれ。1997年、筑波大学第一学群人文学類卒業。2003年、筑波大学大学院歴史・人類学研究科単位取得退学。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、明治大学経営学部専任講師。2011年より筑波大学生命環境系准教授。専攻は歴史地理学、農村社会学、地域経済学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
fwhd8325
59
最終章に、この著書のタイトルとなったエピソードが紹介されています。そこには、歪な食の在り方を感じます。そこに至った食文化の歴史はとても興味深く読みました。胃袋を満たすこと。ただそれを考えていた時代があり、そこに大きなエネルギーが生まれた。しかし、時代と共にそうした価値観は変化をしていく。当たり前のようでいて、とても寂しい。2020/10/17
キク
57
戦後史を「胃袋」から見る。精霊が宿るとされた「米」は、糖質制限の対象になってしまった。ある農家はいう「農家でさえも食の自給を放棄して、この国は世界中からあらゆる食材を買い漁っている。JAが総力を上げてコメ消費拡大運動を展開したが、効果なく終息した。他人様の食べ物には干渉できない。輸入できる経済力が失われたとき、『飢えを知らない世代』は無謀な戦争を始めるのではないか」戦後は空腹で「胃袋」で食べ、美味しさを味わう余裕ができると「舌」で食べ、さらに美しさを「目」で食べるようになり、栄養を理解して「頭」で食べる→2023/06/02
makio37
12
「食べる」という行為に関わる戦後史。内容は雑多だが、その分、自分の母が家族の中で一人だけパン朝食だったことや、知り合いの農家の方がよく「土地改良」区の話をしていることなど、自分のまわりの「食物語」と関連づけながら興味深く読むことができた。著者は「社会への「経路」であった胃袋は、限りなく個へ閉じ込み、栄養、知識、記号を入れる「容器」へと変貌した」という危機感を持つ。胃袋は「「あの世」「自然」「人」の共在世界を(中略)五感で諒解する交差点」だとする認識は新鮮であった。2019/04/21
たらこりっぷ
12
「食べる」ということを日本人がどうとらえてきたのか、整理した形で提示することをめざした一冊です。私は食べることに人一倍関心を持ってきました。考え方が補強される部分もあれば、そう考えればよかったのかと手を打ったところも数々ありました。タイトルになっているエピソードは本編ではわずかな部分ですが、現在の「食べる」を象徴する話であるのは間違いありません。自分自身の関心のあり方や疑問の持ち方にちょっとだけ自信を持つことができました。2019/04/07
gecko
11
〈食べる〉を語る人びとのライフヒストリーに耳を傾けながら、食をめぐる「暮らしの戦後史」を描き出す一冊。現代の自分の身近にも、戦前・戦中の空腹や飢餓を経験した世代の創業者による、哲学と意志が刻まれた仕事や場所があること(ダイエーなど)をはじめて意識した。自分の「胃袋」は自分だけのものではなく、「ごはん食べた?」と互いに気にかけあうことで他者へと開かれてもいるという考えが印象的。食の記憶は、その当時の社会状況と個人的な体験とが分かちがたく結びついたものなのだな。親や祖父母は何をどんな思いで食べてきたのだろう。2021/03/04