内容説明
「歴史の民」ユダヤ人には、歴史書がない。数千年にわたって世界中に離散した彼らは、どのようにして民族の歴史を伝えたのか?旧約聖書には、「思いおこせ、記憶せよ」という神の言葉が169回も現れる。この言葉にこめられたものとは?聖書時代から現代までの、ユダヤ人の「集合的記憶」のつくられかたと伝達方法を具体的に検証し、「記憶」と「歴史記述」の重層的な関係を考察する。ユダヤ思想の核心を読み解くための、指標となる一冊。
目次
1 歴史・記憶・歴史記述の意味―聖書とラビ文学の基盤
2 記憶の器と伝達手段―中世
3 大破局が生んだ歴史記述―十六世紀
現代のディレンマ―歴史記述とその不満
追記 「忘れること」についての考察
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Labdakos
1
よく現代思想などで、他者の思考、砂漠の思考と呼ばれ、倫理的なものとされるユダヤ性について、その包括的な歴史を知ることによって理解を得ようと思って読み始めました。しかし、書いてあることはどっちかというと事物の歴史ではなくて、歴史の仕組みについての考察でした。その中で、この言葉は出てきませんでしたが「世界史」との対比を用いてユダヤの記憶が反復され、遡行されるものとして説明されていました。これはフッサールが幾何学の起源で持ち出していた Geschichte と Historie の違いにとても似ています。2011/08/11
moco
0
ユダヤには聖書以後の歴史記述がほとんど見られず、代わりにそれ(ユダヤ人の歴史)は儀礼や典礼といった形でユダヤ人の集合的記憶のうちに刻み込まれ、受け継がれていった、ということだそうです。新鮮でした。ちなみに彼の言う集合的記憶という概念はユングの集合的無意識を思わせますが、それとは別物です。2010/07/07