出版社内容情報
本はぞんざいに扱っていいのか。たんなる情報のツールなのか。
紙の本は電子書籍全盛時代にはもう遅れたメディアなのか。
何千年来伝わって来た人類の記録や叡智は「本」という形で運ばれた。
「論語」や「聖書」「ソクラテスの弁明」も「仏典」も、実は師が弟子に伝える言葉であった。
教えを乞う弟子が師への敬意をもって読まなければ、何も伝わらないのだ。
本を著者の人格ととらえ、そこから読書の効用を説く、齋藤先生独自の読書論。
<目次より>
序章 なぜ本を踏んではいけないのか
第一章 なぜ本は存在するのか
第二章 本を味わい尽くすには
第三章 人格読書法で得られる境地とは
第四章 齋藤流読書案内
おわりに
【付】とりわけ踏んではいけない本155
内容説明
本はぞんざいに扱っていいのか。たんなる情報のツールなのか。紙の本は電子書籍全盛時代にはもう遅れたメディアなのか。何千年来伝わって来た人類の記録や叡智は「本」という形で運ばれた。「論語」や「聖書」「ソクラテスの弁明」も「仏典」も、実は師が弟子に伝える言葉であった。教えを乞う弟子が師への敬意をもって読まなければ、何も伝わらないのだ。本を著者の人格ととらえ、そこから読書の効用を説く、齋藤先生独自の読書論。
目次
序章 なぜ本を踏んではいけないのか
第1章 なぜ本は存在するのか(人間は本で何を残そうとしてきたか;「書き写さなければ」という衝動―写本 ほか)
第2章 本を味わい尽くすには(「一期一会」読書;自分を本にかかわらせる―線引き、付箋、書き込み ほか)
第3章 人格読書法で得られる境地とは(本に救われる;苦境を支える ほか)
第4章 齋藤流読書案内(私の読書体験―『復活』;子どもたちの宝―『ああ玉杯に花うけて』 ほか)
著者等紹介
齋藤孝[サイトウタカシ]
1960年、静岡県生まれ。東京大学法学部卒業、同大学院教育学研究科博士課程を経て、明治大学文学部教授。専攻は教育学、身体論、コミュニケーション技法。著書に『宮沢賢治という身体』(世織書房、宮沢賢治賞奨励賞)、『身体感覚を取り戻す』(NHK出版、新潮学芸賞)、『声に出して読みたい日本語』(草思社、毎日出版文化賞特別賞)など多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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