内容説明
小型ラジオを風船につけて北朝鮮に向けて飛ばす。大邱のユニバーシアードやアテネ五輪の機会をとらえて北朝鮮の人権抑圧、中国の脱北者強制送還に抗議する。拉致被害者の家族とともに議員会館前に座り込む。コンドリーサ・ライス国務長官に直訴する。1日1500人以上にeメールを発信する…。前歯を折られ、脊椎を傷つけられ、ときに「クレイジー」と非難され、脅されても、フォラツェン氏は活動をやめない。北朝鮮でお腹をすかせた孤児院の子供たちに約束したから。金正日を人権に対する罪で国際法廷に告発するまで闘うと。緊急医療支援で平壌入りし、悲惨な人権状況を知ったドイツ人医師が「ペンの力」を信じて書いた真摯な活動記録No.4。
目次
新たな可能性を探して―韓国での活動
韓国からの「退去命令」
バンダ・アチェの津波
“朝鮮難民”として日本に
アンクル・サムに助けを求める―アメリカでの活動
「幸せな人は旅をしない」―個人的な代償
最後の章、「バック・トゥ・ノースコリア」のために
著者等紹介
フォラツェン,ノルベルト[フォラツェン,ノルベルト][Vollertsen,Norbert]
1958年、デュッセルドルフ生まれ。デュッセルドルフ大学医学部卒業。モルディヴでの医療活動、大学講師、心身医学病院勤務を経て、90年、ゲッティンゲンで開業。99年7月、ドイツ緊急医師団「カップ・アナムーア」に加わり、北朝鮮へ。火傷患者への皮膚移植に協力して「友好メダル」を受章。これによって国内を比較的自由に移動できた。その後、人権抑圧改善を当局に訴えたことから、2000年末に国外追放となり、韓国へ脱出。北朝鮮でつけていた16冊の日記をもとに書いた手記『北朝鮮を知りすぎた医者』(2001年、草思社刊)が大きな反響を呼んだ。以後ソウルを拠点に、北朝鮮の惨状を世界に知らせるべく、韓国やアメリカ、日本の人権活動家と協力し、メディア、国連等への訴えかけをおこなう。中朝国境地帯での医療活動と聞き取り、北京の各国大使館への脱北者の駆け込み支援、「ボートピープル計画」など、2001年以降の活動を『北朝鮮を知りすぎた医者 国境からの報告』『北朝鮮を知りすぎた医者 脱北難民支援記』(いずれも草思社刊)にまとめる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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