内容説明
いまから七百年前のことである。ヴェネチア商人の息子マルコ・ポーロは、父と叔父とともにはるばると中央アジアの砂漠を越え、未知の国、中国へたどりついた。一行はこの地に二十年間とどまるが、とりわけマルコはフビライ・ハーンの覚えめでたく、皇帝の使節となって中国各地をめぐり、江蘇省揚州の知事までつとめたという。だが、と著者のウッド女史は考えた。マルコ・ポーロははたして本当に中国へ行ったのだろうか。マルコが帰国後に語った旅行談、『東方見聞録』には、なぜ万里の長城や纏足や茶のことが出てこないのか。当時の中国の記録にマルコ・ポーロ一行について何ひとつ記されていないのはなぜなのか。現存する『東方見聞録』の手稿と刊本の来歴、そこに使われている言語、そしてポーロ家の歴史に関する最新の研究成果をもとに、疑問の解明に乗り出したウッド女史が導き出した、あっと驚く新解釈とは。
目次
実際の旅はどうだったのか
いったいなぜ極東へ
東方へ目指す宣教師たち
プレスター・ジョンと東方の三博士
旅行記にあらず
ゴーストライターと最初の愛読者
テクストの言語
マルコがいったこと、いわなかったこと
アイスクリームとスパゲッティ
壁また壁〔ほか〕
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
白義
1
日本で読めるマルコ・ポーロ懐疑論として、代表的な一冊かな?万里の長城や纏足、茶の記述の欠如など状況証拠は十分だが、限りなく黒に近いグレーと言った感じで決定打にかける印象も少しする
ユーディット
0
マルコはなんと中国どころかモンゴルさえろくに行っていなかった!ってことはNHKの大河ドラマとかは当然、真剣な本までほとんどが間違っていることになる!!!マルコ・ポーロ関連の本の中では一番納得が行った。一般書とは言え、かなり資料的な部分があり、本を読み慣れていない人には読みやすい本では無い。マルコ・ポーロについて本気で知りたい人には非常にお勧めの一冊。2012/01/16
宣和堂
0
かの有名な『百万の書』の記述から、実はマルコ・ポーロは中国に行ったわけではなく、伝聞を元にモンゴル時代の中国を語ったのではないか?と言う本。あり得ない話ではないと思う。2011/08/01
小葉
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○ 『東方見聞録』に纏足、茶、万里の長城等に関する内容がないこと、元を初めとした中国の記録にマルコ・ポーロらしき人物は見あたらないことなどを、その理由としてあげています。でも、やっぱり若きマルコ・ポーロが中国に行き、フビライのお気に入りになったっていうのが、夢があっていいと思うんだなぁ。2008/02/11