出版社内容情報
「崇高」から何を思考しつづけたのか。リオタールの戦略とは何か――
「ポストモダンの思想家」とされるリオタール。しかし、美学から一貫して資本主義への抵抗を思索しつづけた哲学者であることはあまり知られていない。複雑に交錯したその思想を丁寧に解きほぐしながら、特異な哲学者の本質を明らかにする。気鋭によるリオタール論の誕生。
内容説明
「崇高」から何を思考しつづけたのか。リオタールの戦略とは何か―。「ポストモダンの思想家」とされるリオタール。しかし、美学から一貫して資本主義への抵抗を思索しつづけた哲学者であることはあまり知られていない。複雑に交錯したその思想を丁寧に解きほぐしながら、特異な哲学者の本質を明らかにする。気鋭によるリオタール論の誕生。
目次
序章 崇高と資本主義―リオタール再読のために
第1部(呈示不可能なものの呈示;表象不可能性とその隘路;呈示=現前とショックの美学;資本主義、この崇高なるもの)
第2部(非人間化への抵抗;加速主義への通路)
終章 ポストモダンの幼年期―あるいは、瞬間を救うこと
著者等紹介
星野太[ホシノフトシ]
1983年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。現在、東京大学大学院総合文化研究科准教授。専攻は美学、表象文化論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
msykst
15
全編が明快すぎてビビる。リオタールの「崇高」や「非人間的なもの」という概念には二面性があるのであり、それは資本主義の本質としてもあるし、同時に資本主義への抵抗にもなり得る。ポストモダン思想が歴史化され、今では加速主義のルーツとなっている状況の中で、リオタールの言説を丁寧に読み直そうという意思を強く感じた。「瞬間を救う」とか、「経験の殺戮」とか、そういうリオタールの独特の言葉遣いって今までなんか「気取ってんなー」と思っていたのだけど、そういう舐めてる態度は良くないなと思った。普通に思想としてかっこいいし。2025/01/11
無重力蜜柑
11
正直なところ、このタイトルと目次から結構キャッチーな内容を期待して手に取ったのだが、ゴリゴリに専門的なリオタール哲学の本だった。まともに咀嚼できたとは言い難いし、興味もあまり持てなかった。リオタールの提示した「ポストモダン」という概念が既に歴史的概念になっているという指摘はその通りだと思うし、フレンチセオリーを扱うなら(マルクスを扱うように)歴史的文脈を踏まえた上で現代との差分を取らなきゃいけないのもそう。従って本書は半分くらい哲学史の本になっているのだが、この分野の哲学にはあまり興味がないのであった。2025/12/07
kentaro
3
⚫︎1 リオタールのテクストには、比較的長い期間にまたがって、資本主義をめぐる議論が登場する。しかも、いっけん純粋に美学的な問題を扱っているかに見えるテクストにも、同様の問題意識は背後にたえず見え隠れする。 2 資本主義にたいして批判的な機能を果たしうる芸術実践一般を、リオタールは前衛と呼ぶ。このような前衛の営為は「崇高な」ものであるとされ、なおかつそれは、絵画、音楽、文学など、広義の芸術的創造を対象とする。 3 他方でリオタールは、当の資本主義を「崇高な」ものとみなしている。なぜなら両者は、出来合いの2025/02/20
Go Extreme
1
ポストモダンの条件 大きな物語が失効した時代 モダニズムを書きなおす 資本主義経済には崇高なものが存在する 美学と政治の内的な絡み合い 決定的なアポリア 非物質的質料 時間の経験 計測不可能な一瞬 非同語的なもの 前衛芸術と資本主義 発展の形而上学 無限の力と富という理念 脱領土化と再領土化 非人間化 非物質化 コミュニケーションの結び目としての人間 人間/非人間という二項対立 幼年期に内在する調停不可能なもの 加速主義 身体なしで思考することは可能か ポスト太陽的な思考 人間化されざるもの 抵抗の源泉2025/04/09
my_you
0
やや難しい本ではある。前半はリオタールのモノグラフ的な説明もあってくれると、先行文献が少ないだけに助かったのではないか。また、リオタールが「資本主義の問題」に取り組み続けた、ということが中心的主題なのだが、そもそも資本主義の何が問題なのか、あるいはその何かが問題である、というところはなかば自明の前提として扱われているように思う。2026/03/05




