出版社内容情報
哲学はいかにして現実に至るのか
人間ならざるものとは、「いまだ」人間でないもの=自然であり、「もはや」人間でないもの=神々である。それらに浸透され、みずからが人間ならざるものとなった人間は、ただちに政治的動物としてではなく、非政治的なものへと開かれた存在として捉えることができる。新しい政治的関与の在り方は人間ならざる者の実存主義によって、本書においてはじめて哲学的に根拠づけられ、その真意が明らかにされるだろう。
内容説明
哲学はいかにして現実に至るのか。人間ならざるものとは、「いまだ」人間でないもの=自然であり、「もはや」人間でないもの=神々である。それらに浸透され、みずからが人間ならざるものとなった人間は、ただちに政治的動物としてではなく、非政治的なものへと開かれた存在として捉えることができる。新しい政治的関与の在り方は人間ならざる者の実存主義によって、本書においてはじめて哲学的に根拠づけられ、その真意が明らかにされるだろう。
目次
イティネラリウム―人間ならざるものから反政治へ
第1部 戦後の京都学派の遺産(ポスト・ヒューマンへの東洋的な見方;日本哲学という意味の場)
第2部 人間ならざるものと思弁的実在論(グラントのシェリング主義について;ドイツ観念論と思弁的実在論―メイヤスーとグラント ほか)
第3部 新しい実在論と二つの実存主義(新しい実在論―フェラーリス・ボゴシアン・ガブリエル;ガブリエルとポストモダン―ボゴシアン『知への恐れ』評によせて ほか)
第4部 反政治の政治学(反政治と再自然化;“もの”の政治的エコロジー―ベネットの生気的唯物論 ほか)
著者等紹介
浅沼光樹[アサヌマコウキ]
1964年、岩手県に生まれる。京都大学大学院文学研究科博士後期課程哲学専攻(西洋哲学史)研究指導認定退学。京都大学博士(文学)。専門は哲学・哲学史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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mim42
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