出版社内容情報
私の闇に照らし出される他者
私はなぜこの〈私〉なのか――この問いが苦しみに変わるとき、私たちの旅は始まる。田中美津の性と身体をめぐる実践、アルコール依存症者の無力の自覚、シモーヌ・ヴェイユの科学批判。一見つながりのないこの三つのテーマから、私という存在の奥底にある不思議な暗さに触れ、それに驚き、そこから新しい自分を再びつかみ直そうとする。意志の破綻から自己肯定へ。私という偶然のもたらす苦悩から〈他者〉との出会いへと開かれていく、この平坦ならざる道のりの導きとなる書。
内容説明
私はなぜこの“私”なのか―この問いが苦しみにかわるとき、私たちの旅は始まる。田中美津の性と身体をめぐる実践、アルコール依存症者の無力の自覚、シモーヌ・ヴェイユの科学批判。一見つながりのないこの三つのテーマから、私という存在の奥底にある不思議な暗さに触れ、それに驚き、そこから新しい自分を再びつかみ直そうとする。意志の破綻から自己肯定へ。私という偶然のもたらす苦悩から“他者”との出会いへと開かれていく、この平坦ならざる道のりの導きとなる書。
目次
第1章 “私”という偶然(「この日なたはわたしのもの」;哲学が求める知 ほか)
第2章 「私という真実」を生きる(“ここにいる女”の生―田中美津論;生命操作に抗して何が言えるか―サンデルの「生の被贈与性」と障害の問題)
第3章 ありのままの私を生きる(意志の破綻と自己肯定―アルコール依存症からの回復を手がかりにして;「彼は私の言葉を語った」―セルフヘルプ・グループにおける「共感」の意味)
第4章 私はなぜこの私なのか(神秘の喪失―シモーヌ・ヴェイユの科学論;人間の生の“ありえなさ”―シモーヌ・ヴェイユにおける「不幸」の概念)
著者等紹介
脇坂真弥[ワキサカマヤ]
1964年広島県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程宗教学専攻修了。博士(文学)。現在、大谷大学文学部教授。専門は、宗教哲学、倫理学。カントやヴェイユの宗教哲学の研究から、広く自由意志や人間の尊厳について考察している。また「依存症からの回復研究会」にも翻訳ボランティアとして積極的にかかわっている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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